「頑張る」ことの本当の意味 宗教思想家・ひろ さちや氏④

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ひろ・さちや 宗教思想家。1936年大阪府生まれ。東京大学文学部印度哲学科卒業、同大学院博士課程修了。気象大学校教授を経て、現在、大正大学客員教授。仏教を中心に、宗教や生き方をわかりやすく説く。『奴隷の時間 自由な時間』『「ずぼら」人生論』など、著書多数。

頑張るということは、実は自己中心的になるということです。「頑張る」という言葉の語源は、「我を張る」です。自分を押し通す、それが頑張るということです。競争し、自分の利益を優先させることが頑張ることなのです。

私が子どもの頃は「あの人、頑張ってはるなぁ」というのは、軽蔑の意味を込めて言われたものです。「もっとおとなしく温和になればいいのに」という意味でした。それがいつの間にか「頑張る」が美辞になってしまいました。おかしいですね。

インドの民話にこんな話があります。ある大金持ちが99頭の牛を持っていました。あと1頭手に入れれば、切りのいい100頭になる。そこでわざとオンボロな服を着て、1頭の牛で細々と暮らしている幼なじみの家を訪ねました。大金持ちはその幼なじみに「お前はいいなぁ。俺は何にも食べるものがなくて貧しいんだ。昔のよしみで何とか助けてくれないか」と泣きつきます。すると幼なじみは「私はこの1頭の牛がいなくても、女房と力を合わせれば何とかなる。牛を差し上げよう。お子さんに牛のお乳でも飲ませてやってくれ」と、お布施をしました。大金持ちは牛を連れて帰り、100頭になったと喜んで寝ました。幼なじみも、友達を助けたと喜んで寝ました。はたしてどちらの喜びが本物でしょう?というのがこの民話の終わりの言葉です。

宗教は羅針盤

私は思います。きっと大金持ちの喜びはたった一晩だけだろう、と。彼は翌朝、目を覚まし「よし、100頭になった。この次は150頭を目指して頑張るぞ」となると思うのです。彼はきっといつまでもあくせくし、いらいらし、がつがつした人生を送るでしょう。こうした人生が頑張る人生です。

これに対して、貧しい幼なじみの喜びは、永遠の喜びではないかと思うのです。友達にいいことができた、後は女房と力を合わせて働いていこう。自分のものを差し上げることによって、心が満ちあふれ、ゆったりとした心持ちで人生を送れると思うのです。

実際には、この幼なじみのように実践するのは難しいでしょうね。それでいいのです。宗教は羅針盤です。行くべき方向を教えてくれるものです。人生では、行くべき方向にはなかなか進めません。そうしたときでも、本当は行くべき方向があるという意識を忘れなければよいのです。競争は悪です。でも、やらざるをえないからやっているということを忘れないことが大切なのです。

週刊東洋経済編集部
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