上皇后を大笑いさせた日本通のフィリピン人作家 ショニール・ホセ氏が残した愛憎混じる日本への言葉

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2021年のノーベル平和賞にフィリピンのジャーナリスト、マリア・レッサ氏が選ばれたとき、「レッサはノーベル賞に値しない」と書き、賛否半ばの大きな反響を呼んだ。ドゥテルテ政権の圧迫にもめげず、政府の麻薬撲滅作戦における人権侵害を告発してきたレッサ氏の姿勢が評価された受賞だったが、ホセさんは、戒厳令を敷いたマルコス独裁政権下の言論弾圧と違って、「現在は言論の自由が失われているわけではない」と主張した。

「受賞に嫉妬しているのではないか」と批判されたことに対して、「文学賞じゃあるまいし、羨むことなどない。(アメリカの作家でフィリピン戦で日本軍と戦った)ノーマン・メイラーがノーベル文学賞を受賞しないまま死んだとき、私はこの賞に対する夢を捨てた」とフェイスブックに投稿した。

亡くなる3日前の2022年1月3日に掲載されたコラムでは、自身の病状や入院について書いた。自らの心臓に向けて「97年間、ありがとう」とフェイスブックで呼びかけたのは、それが止まる数時間前だった。故郷のまちを慈しむ最後のコラムの草稿が死後、新聞紙上で紹介された。

2021年最後のコラムでは、米中対立で緊張が高まる南シナ海の領有権問題にからめて、中国がもしフィリピンを占領したら、という書き出しで日本の占領時代の思い出を記していた。

日本には「自分たちが独特だとの自己陶酔がある」

知日の作家は、日本について多くの言葉を残した。

「日本に自己再生の力があるかは疑わしい。直面する問題についての開かれた議論が少ない。メディアも支配層への批判をためらいがちだ。例えば移民問題。アメリカは受け入れることで、新鮮なアイデアと発展につなげてきた。だが日本は受け入れない。島国なのだ。自分たちは独特だと思い込む自己陶酔がある」

ホセ氏は筆まめな人だった。筆者にもことあるごとに手紙を送ってくれた(写真・筆者撮影)

だからといって、日本の現状や将来を突き放していたわけではなかった。

「それでも日本は成熟した民主主義を持っている。日本はずいぶん穏やかになった。成熟とは歴史の長さではない。司法や政治制度が機能し、官僚制度もしっかりしている。人々、とくにお年寄りを大切にする仕組みもあるということだ」

そして、次の言葉が最も私の印象に残っている。

「日本人は不可解な存在だ。変化へ向けてムードが変わると、すべてを受け入れる。国民的雰囲気とでもいうか。しかも一夜にして変わることがある。つねに理性に基づいて行動するわけではないことは1941年の開戦で明らかだ。国粋主義的になれば危ない。第2次世界大戦の黒幕のような扇動者が出てきたら、簡単に説得されてしまうのではないか。平和を求める雰囲気が続くことを願う」

あけっぴろげで陽気、辛辣な言葉も嫌味に聞こえないおおらかな人柄が日本人も含めて多くの人を魅了した。先の戦争から現在まで、日本の近現代とこれほど深く付き合ったアジアの文学者を私はほかに知らない。

常々、故郷の別荘に行こうと誘われていたのに都合が合わず、ご一緒できなかったことが今となれば痛恨である。

さよならパパ・フランキー。多くの言葉をありがとう。

柴田 直治 ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表

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しばた・なおじ

ジャーナリスト。元朝日新聞記者(論説副主幹、アジア総局長、マニラ支局長、大阪・東京社会部デスクなどを歴任)、近畿大学教授などを経る。著書に「バンコク燃ゆ タックシンと『タイ式』民主主義」。

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