――国が動かないから、慶應単独でやろうということでしょうか?
ほかの大学でもきちんと情報教育を高校でしてほしいと、文科省に対して言ってきました。でも、あまり進んでいないのが実情です。最初に言ってから少なくとも10年は経っているのですが。学習指導要領は10年に1回の改訂なので、10年先のことを思って言ってきたのですが、なかなか変わらないのです。
たとえば、大学入試について言えば、大学入試に情報の科目を入れようと、東大はじめ、ほかの大学にも呼びかけました。しかし、大学関係者から聞こえてきたのは「村井さん、精神的には大賛成だけど、うちの大学の入試を動かすのは簡単じゃないから」という声でした。
――情報の科目を選ぶということは、何か別の科目を捨てることになる可能性もありますよね。考えられる弊害は何ですか?
情報はすごくできるけど、数学も国語も全然できない子どもが受験すると仮定してみましょう。もし合格した場合、この子の全体的な偏差値は低いわけです。そうすると、ものすごい偏差値の低い子が合格したということになり、SFC自体が偏差値の低い大学として、レッテルを張られてしまう可能性があるでしょう。
新科目を入試に導入する際のリスクは、こうした点にあると思います。一方で、慶應の先生方の間では逆の話も出ました。つまり、情報の科目を入れることで、偏差値を上に押し上げるのではないかという懸念です。
でも、偏差値が上がればいいというものではないのです。SFCは、全科目満遍なく勉強しているような成績のいい子は実はあまり取っていない。それより何か面白い子を取りたいのです。
基礎学力は当然重要なのですが、そのうえで何かひとつかふとつ、飛び出た力を持つ子どもたちに興味があるのです。そのような子どもたちが集まって、キャンパスの中に多様性を生み出したいと考えています。そのため、偏差値が上がりすぎてしまうことも警戒しています。
全員が、プログラミングとデータ解析の力をつけるべき
――インターネット社会になり、求められる力はどう変わるのでしょうか。
今の大学1年生は1995年生まれ。95年というと、Windows95が出た年で、日本ではインターネット元年と言われています。つまり、今の大学1年生にとっては、生まれたときにはもうインターネットが流行語になっていたのです。彼らはそれ以前の世界を知りません。
インターネットがあることが前提という生き方をしているので、あらゆることのアプローチ方法が変わっているはずです。たとえばですが、農家でとれるコメの話をしましょう。その昔、稲刈りは手で行っていて、手触りや見た目などの感覚から、今年は出来が良いとか悪いとかわかったと判断していたと思います。しかし、今は水分含有率の良しあしまでがデータ化されていて、即座に測れてしまう。その数値をどう扱ったらよりおいしいお米ができるか、農家の利益を上げられるかを誰でも考えなければならない時代になっています。これがインターネット時代の人間の力だと思います。
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