最も革新的なのは、45年前のコーヒー? スタバ、ブルーボトルだけじゃない革新の物語

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「販路がない!」を覆した社員たち

それだけではない。缶コーヒーを開発・製造する技術というものは、そもそも世の中に存在していなかった。UCC開発陣の挑戦は困難を極めた。

初代のミルクコーヒー(提供:UCC)

まずミルクとコーヒーが缶の中で分離してしまう。殺菌処理で風味が悪化する。缶の鉄イオンとコーヒー成分のタンニンが結合して真っ黒になり、文字どおりブラックコーヒーになってしまう。UCC開発陣はこれらの課題を粘り強く一つひとつ解決していった。すべての障害を乗り越えて、1969年4月、世界初の缶コーヒー「UCCミルク入りコーヒー」が誕生した。上島社長は涙ぐんで、開発者一人ひとりと握手したという逸話が残されている。

しかし、ここからがさらに大変だった。コーヒー業界は「缶コーヒーなんて邪道だ。商品として認められない」と無視したのだ。困難を乗り越えて開発した画期的な商品だったが、誰も取り扱おうとしない。

誰も売ってくれないのならば、自分たちで売るしかない。しかし当時のUCCの顧客は喫茶店が中心だった。缶コーヒーは一般消費者向けの商品だが、UCCは一般消費者向けの販売経験を持っていなかった。

ちなみにセブン-イレブン1号店が生まれたのは5年後の1974年。まだコンビニも存在しない。自販機も少ない時代だ。UCCは全社でキヨスクや食料品店と、慣れない市場開拓を進めた。しかし、販売経験がない社員まで飛び込みセールスに駆り出して、全社で1年間かけて必死に努力を続けても、なかなか販売にも結び付かなかった。社内には暗いムードが漂っていた。

風向きが変わったのは翌1970年。大阪で万国博覧会が開催された。そこでUCCは『万博出展準備室』を編成して積極的に事前セールスを展開し、日本パビリオンの80%、海外パビリオンの100%に納入することが決まった。

来るべき未来をアピールする万博会場で、缶コーヒーは爆発的に売れて大ブレークした。当初2000万人程度と見込んでいた万博の総入場者数は、なんと6400万人に。缶コーヒー体験をした人からは再注文が殺到し、工場はフル稼働。翌年、UCCは売上高100億円を達成。缶コーヒーは発売2年でUCCの看板商品となったのだ。

参考:「UCC缶コーヒー ニッポン・ロングセラー考 COMZINE by nttコムウェア」

「できること」でなく「やるべきこと」を!

UCC缶コーヒーが、なぜイノベーションなのか?

それまでは、コーヒー牛乳は牛乳スタンドで飲まれていた。瓶をその場で返す必要があった。しかしこれは不便だ。UCC缶コーヒーは、列車の中やハイキング、あるいは街中で、まさに「いつでもどこでも」ミルク入りコーヒーを飲める状況を創り出した。つまり「いつでもどこでも飲める」という新たな価値を創出することで、新たな顧客を生み出した。その結果、8000億円という巨大な市場が生まれたのだ。

イーロン・マスクの取り組みがイノベーションであることは、誰もが同意するだろう。同様にUCC缶コーヒーもイノベーションなのだ。イノベーションの本質は新しい価値を創出することにより、新しい顧客と市場を生み出すことなのである。

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