※その1: 日本のジャーナリズムには、教養が足りない
大震災について報道されていないこと
滝鼻:日本のジャーナリズムが書くべきなのに書いていない身近な例を2、3挙げてもいいですか。
山折:どうぞ。
滝鼻:ひとつは、東日本大震災についてです。大震災については、被害者の救済、原発の後始末、放射能漏れなどの問題は、克明すぎるほどに報道されています。しかし一方で、震災によって潤っている人、たとえばはっきり言うと、仙台の繁華街や、深刻な被害を受けた地域で潤った人の話は出てきません。
補足すると、原発事故で出入り禁止になった地域にはコンビニが相当数あり、ATMも各所にありました。あの辺りの地域のATMを担当しているのは、銀行ではなく警備会社です。警備保障会社が現金を入れ替えているのです。ところが、震災直後にATMを回ったら、多くのATMが破壊されていたそうです。
この話はどこでも報道されていません。なぜこれを報道しないかというと、新聞記者には、大震災についての負の部分というか、被災者にマイナスになったり、特定地域に烙印を押したりするような報道はしてはいけない、という先入観が働くからです。
もうひとつの気になるニュースは、JR北海道の問題です。なぜあの会社だけ次から次へとトップや職員がミスを積み重ねるのか。誰でもピンとくるのは労使のなれ合いです。国鉄時代の労使関係がJR北海道だけ生きているのです。
私は、ミスが起きるのも、労働時間を短縮するためにいろんな制約があったからだと推測していますが、なぜ新聞記者はそういう質問をしないのか。あの頼りないJR北海道の社長の発表に頼るのではなく、観察力によって事実を積み重ねていって、もうちょっと内部に突っ込んだニュースを書かないのか。
これはやはり、前回、山折さんがおっしゃったように、ジャーナリストが見て見ぬふりをしているんだと思います。これはジャーナリストにとって、自分の命を失うに等しいことです。最近、私はこの2つのことが気になって仕方がありません。
山折:それはおそらくジャーナリズムの世界だけではなくて、大学にも当てはまります。日本の組織には、内部的な組織の恥部を暴露したり、仲間を裏切ったりするのはよくない、という心情が流れています。ですから、それを押し切ってやるとなると、職を失うぐらいの覚悟をしないといけない。
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