太田光「M-1審査員の依頼があっても断るワケ」 「漫才が天職」とは自分では一切思っていない

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メモに関しては小説を読むごとに感想や気に入った一節を残していたんだけど、なぜ「ある時期まで」かと言えば、いまは自分の新作を書き上げたい気持ちが強いから、ほかの人の小説を読めていなくてメモの取りようがないってだけの話。

その小説を書く時間も世間でいうところの休日にしているから、努力と呼べないこともないんだろうけど、俺の語感としては違う。好きなことをしていることのなにが努力だよって話だから。

俺の語感としての努力は「嫌なことをがんばる」となるんだけど、これがまぁ、その手の才能が子供の頃から悲しくなるぐらいに、見事にまったく一切ない。

小学校の宿題から数えてこの方、一度も努力できたためしがないから。夏休みの宿題も一切やったことがないんだけど、あえてやらないといったかっこいいものじゃなくて、毎年毎年、「初日に全部終わらせるぞ。そうすりゃあとは毎日遊べる」と思っていた。

だけど、体が動かない。次の日も「今日こそは」と思うんだけど、やっぱり体が動かない。結局、一度も机の前に座ることなく長い夏休みが終わってしまう。「こんなことがありえるのか?」と毎年毎年思いながら、それでも一度も宿題をやることなく、ダメな大人になってしまったというね(笑)。

伝統芸能が突き詰めた技術

才能と努力がセットで語られることがあるとすれば、才能と技術もまたよく耳にする組み合わせだ。技術に関しては、才能や努力よりは、思うところがある。漫才を例にとっても、技術はものすごく重要だから。「こういうやつっているよなぁ」といった共感や「このあとどうなるの?」といった臨場感を客に感じてもらうためには演技力が絶対に必要で、それって技術と呼ばれるものだと思う。

歌舞伎や能などの日本の伝統芸能がすごいのは、「悲しい」「うれしい」といった人間の喜怒哀楽が、首の角度や手のかざし方といった所作で表現できるはずだと長い年月をかけて、技術として突き詰めたところにある。

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