オスマン帝国がキリスト教徒と共生できた理由 イスラム世界における共存と平等を読み解く

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オスマン主義のもと、非ムスリムに課されていた人頭税は廃止され、非ムスリムが官界に入る道が開かれました。ムスリムが別の宗教に改宗することは極刑に値する罪とされていましたが、その執行も停止されます。

すなわち、イスラム教が7世紀に登場して以来の大きな改革が、オスマン帝国において試みられたのです。これは、イスラム世界のみならず、世界レベルで見ても先進的でした。

そもそも「人間は生まれながらに平等である」という観念が登場したのは、1789年のフランス革命以降の、比較的最近のことです。それまでは、平等でないのはもちろん、共存のルールもないという社会がふつうでした。

フランス革命によって産声を上げた人権と、それに基づいて国民へ平等な権利を付与するという理念は、当時の欧米諸国においても、19世紀から20世紀にかけて、少しずつ実現していったものなのです。

「ムスリムと非ムスリムの平等はクルアーンの教えに反する、おかしいじゃないか」と思った読者もいるかと思います。実際に、当時、こうした政策を批判した人々も存在しました。

しかし、オスマン帝国においてクルアーンの文言をひねった解釈が行われることは、反イスラムでも非イスラムでもない行為とみなされてきました。例えば、クルアーンが利子を禁止しているということは有名です。しかしオスマン帝国では、16世紀末に、経済活動に必要である利子を実質的に合法化してしまいました。

オスマン帝国は、クルアーンの文言を素直に読めば難しいような解釈をひねりだし、現実に適用させていたのです。

「諸国民の統一」の追求と挫折

ただし、臣民の平等を宣言したオスマン帝国のその後は、たやすいものではありませんでした。

さきに、イスラム教における非ムスリムの扱いは、アファーマティヴ・アクションに似ている、と述べました。19世紀のオスマン帝国では、平等な扱いをしたうえで、さらに非ムスリム共同体に特権を与えたので、現代でいうアファーマティヴ・アクションにより近い制度となったといえます。

そして、アファーマティヴ・アクションとの類似性は、その短所にも表れています。つまり、「逆差別」されているというマジョリティ側の不平等感や、マイノリティの区分の難しさという問題です。

オスマン帝国では、非ムスリムが過度に優遇されているのではという不満が、ムスリムの側に生じました。また、キリスト教の宗派が細かく分かれていたために、帝国政府は承認するグループを増やさざるをえませんでした。しかしこうした困難があったとはいえ、帝国政府は、一貫してオスマン主義を堅持し、それに基づいた政策を進めていったのです。

次ページ帝国の解体と理想の終わり
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