勘違いしていた現役時代
2013年春、大学野球日本一に輝いたのは、群馬県伊勢崎市に本拠を構える上武大学だった。東京六大学や「戦国」と言われる東都大学勢に比べ、個々の能力で劣る地方大学が創部32年目にして全国の頂点に立てた背景には、谷口英規監督が“格差社会”で生き抜く術を説いたことにある。
現役時代、谷口はアマチュア球界のエリートコースを歩んだ。86年夏には2年生エースとして浦和学院を甲子園初出場に導き、ベスト4に進出する。その後は東洋大学、東芝と名門を渡り歩き、93年アジア選手権では日本代表に選ばれた。同年、社会人ナンバーワンを決める都市対抗野球では日本石油(現JX-ENEOS)の補強選手として出場し、MVPにあたる橋戸賞を受賞している。
そうした華やかな経歴を持つものの、本人は「野球はかじっただけ」という。優れた実力を誇る一方、一本気な性格の余り、周囲と衝突することも少なくなかったからだ。
アマチュア野球ファンの間で、谷口の逸話は密かに知られている。甲子園でベンチにグローブをたたきつけた瞬間がテレビ中継され、注意を受けた話は有名だ。東洋大学では問題を起こし、髙橋昭雄監督に辞表を書かせたこともある。東芝では首脳陣と揉め、1年ほど試合に使われない期間があった。00年に上武大学を率いて以降はアニキ肌の指導者として教え子に慕われているものの、大学時代の先輩から「あの頃の谷口なら、いまは付き合っていないよ」と言われるほどの問題児だった。
「何も怖くなくて、『お前は尾崎豊か!』ってくらい勘違いしていましたね」
自身をそう省みる谷口が、現役時代を振り返る。
「僕は勝ち組ではないですよ。大学でも社会人でも、自分から負け組になった。大学ではケガをしてピッチャーをやめて、先輩が東芝に引っ張ってくれて。社会人で野球をできたのは、自分の実力ではありません。プロに行きたかったけど、何の努力をしたかと言えば、何もないし……。逆にそういう野球人生だから、下の連中の気持ちも上の連中の気持ちもわかる」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら