大学時代のくやしい思い
桐光学園の投手・松井裕樹、大阪桐蔭の捕手・森友哉が注目を集める2013年のプロ野球ドラフト会議で、彼らと同じ1位候補に挙がる“無名投手”がいる。富士重工業の右腕、東明大貴だ。
最速153kmのストレートを誇り、今年10月の東アジア大会では初の全日本代表入り。富田高校時代の夏の岐阜大会で3年連続初戦敗退した東明は、大学、社会人という6年間の雌伏を経て、シンデレラストーリーを描き始めようとしている。
運命のドラフト会議を10月24日に控え、候補のアマチュア選手たちはどんな心境なのだろうか。東明が率直な気持ちを吐露する。
「不安ですよ。新聞や雑誌では名前を出してもらっていますけど、あくまで予想の話。何も決まったわけではありません。大学時代に悔しい思いをしているので、同じ気持ちを味わいたくないですね。すごく怖い世界です」
東明は桐蔭横浜大学時代の2年前、2011年11月に行われた明治神宮大会出場決定戦で東海大学の菅野智之(現・巨人)に投げ勝ち、一躍注目を集めた。しかし、プロ志望届を提出したものの、ドラフトで彼の名前が呼ばれることはなかった。
実は、事前にある1球団から調査書が届いていた。だが、指名があるとしても下位で、さらに担当スカウトは翌年から他球団のコーチに就任することが決まっていた。東明はすでに富士重工業から内定をもらっており、その球団には齊藤博久監督が「申し訳ないけど、指名しないでください」と断りを入れた。東明が希望どおりにプロ野球選手になったとしても、味方になってくれるはずの担当スカウトが退団していては、数年でクビになる可能性を否めなかったからだ。
東明も納得しての決断だったが、夢見る自分を捨て切れなかった。2011年のドラフト会議は、自宅で3人の同級生と一緒にインターネットで見守った。1位指名された菅野や藤岡貴裕(ロッテ)、野村祐輔(広島)をはじめ、下位でも同じ大学4年生の名前が次々と呼ばれていく。東明の指名はないままドラフトが終わり、友人たちと近所に食事に出掛けた。当人の心境をおもんぱかった周囲は口を開けず、ただ沈黙の時間が流れた。
「みんなの気遣いがうれしかった反面、期待に応えられなかったことを申し訳なく感じましたね。ドラフト前には『指名はないだろう』と感じていたので、『自分には関係ない』くらいの気持ちでした。それが、いざ同級生が指名されていく光景を見て、悔しいと感じる自分がいました。その立場になって、ようやく気づきましたね。『自分はそういう世界に行きたかったのだ』という思いも湧いてきました」
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