日本人が知らずにしている人種差別の「正体」 「シャイ」という言葉に隠れた恐れ

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人種は単に作られたもの、つまりフィクションなのだ。みんながよく知るフィクションであり、人々を分類するのに使われるべきものではない。皮膚の色によって人を分類したりレッテルを貼ったりする試みは攻撃的で人種差別になる。

西洋人に対して日本で最もよく使われるレッテル――具体的には、外人、白人、黒人、そしてその人物が見るからに非日本人的であれば、ハーフなど――は、政治的な表明であり、社会的な概念である。こうしたレッテルは大多数の人が、正しい分類であると仮定し、認めた場合に限ってのみ有効である。

「ブランディング」に拘束されてしまうワケ

揺るがない真実を考えれば、私たちは誰もがすべて人間である、それだけだ。それだけが絶対的に正しい唯一のレッテルであり、これこそがきちんと「事実」となるまで教えられるべきことだ。しかし、残念なことに日本では米国と同じように、レッテルが変わることはなく、人々はこのレッテルに拘束される。

私の場合も、個人的によく知る間柄でないかぎり、このレッテルは私の先を歩く。ほぼコントロールできない人種に基づいたブランディングになすがままにされるしかない。人目を引く少数派として私は、きちんとしたスーツを着てネクタイを締め、眼鏡をかけ、にっこりと笑顔を作ることはできるが、それでもまだ日本人に与える私の印象は、このブランディングから離れることはない。

なぜ、こうしたブランディングは問題なのだろうか。

たとえば、オーストラリア先住民、タンザニア人、アフリカ系アメリカ人、フィジー人、コンゴ人、ジャマイカ人を同じ分類に含め、「黒人」とラベルを貼ったこぎれいな小さな箱に入れるのが、なにが悪いというのだろう?

それは、日本人、沖縄人、中国人、韓国人、フィリピン人、台湾人、中国系アメリカ人、日系アメリカ人、ブラジル系日本人、ベトナム人を、「黄色人」または「アジア人」とラベルを貼ったこぎれいな小さな箱に突っ込むのが悪い理由と同じことだ。考えればわかることだが、これらの人々には何も共通点がない可能性が大きい。言語、文化、政治、歴史、宗教などほとんどが異なっている。

すべての多様性を、1つのラベルを貼った小さな箱にまとめてしまうことは、物事をシンプルにするかもしれないが、思考過程を単純化してしまうという副作用もある。複雑な問題に対して適切な言葉を使わなければ、単純思考だけが集まる場ができてしまう。

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