イギリスの超天才が歩んだ数奇で波乱な人生 アラン・チューリングを知っていますか

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21. 1938年にプリンストンで博士号を得たアランはその博士論文のなかでチューリング還元の概念を提案した

22. 彼はまた純粋数学のみならず「暗号理論」も学び、電気機械式乗算器の試作にも挑戦していた

23. 同時期のプリンストンでは、のちに原子爆弾の開発等で知られる数学者ジョン・フォン・ノイマンも学んでいた

24. 2人は親交があり、ノイマンはアランにそのまま米国に残ることを勧めたともいわれている

25. 米国からケンブリッジ大学に戻ったアランは、そのころ哲学者ウィトゲンシュタインの講義にも参加している

26. ウィトゲンシュタインは「数学は絶対的真実を発見するものではなく発明している」という立場をとっていた

27. それに対しアランは〈数理哲学〉ともいわれる「形式主義」を擁護する立場をとったといわれている

〈StationX〉という暗号名でも呼ばれていた「ブレッチリー・パーク」内の建物(写真:georgeclerk/iStock)

28. 1938年9月、アランはパートタイムの形でイギリスの暗号解読組織「政府暗号学校」(GC&CS)で働きはじめる

29. GC&CSは元イートン荘園の一部「ブレッチリー・パーク」にあり、〈StationX〉という暗号名でも呼ばれていた

30. それに先立つ1938年7月、ポーランドの暗号局はイギリス、フランスの情報担当官とワルシャワで会合していた

31. 東西をロシアとドイツに挟まれた地理を持つポーランドは第一世界大戦後も各国の暗号解読に精を出していた

「エニグマ暗号」に遭遇

32. ところが1926年、ポーランドの暗号解読班は突如〈解読できない暗号〉に遭遇する

33. それがドイツの「エニグマ暗号」だった。エニグマとはドイツ語で〈謎〉を意味する

34. エニグマは文字の置き換え方式による暗号で、平文の文字をある変換ルールにのっとって置き換えて解読する

35. この変換ルールが解読の〈鍵〉になるが、エニグマの鍵は159,000,000,000,000,000,000通りも存在した

36. GC&CSで働き始めたアランは数学者を中心に編成された暗号解読チームでこのエニグマ解読に挑むことになった

37. ポーランドはそれまで収集したエニグマのローター回路情報とドイツ軍用エニグマ(旧式)のレプリカを進呈

38. それをもとにアランは数学と高速な計算機械を使用して、〈鍵〉の探索時間を短縮するアイデアを思いつく

39. 1939年秋、彼は電動式の暗号解読装置「チューリング・ボンブ」の設計を行った

40. 完成したボンブは膨大な可能性のなかから〈当たり鍵〉を15分ほどで見つけることができたという

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