技術者冥利に尽きる35ミリカメラ ニコン特別顧問・小野茂夫氏③

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おの・しげお ニコン特別顧問。1931年生まれ。54年東京大学工学部精密工学科卒、日本光学工業(現ニコン)入社。カメラ事業部長などを経て93~97年社長、97~2001年会長。東京工芸大学理事長、日本バリュー・エンジニアリング協会会長を兼ねる。

ニコンのカメラは、ユーザーの声を反映してきたという自負があります。とりわけプロからは絶大な信頼を寄せていただき、こんな製品ができないかと依頼され、実現したものがいくつもあります。

 1979年のことです。米『スポーツ・イラストレイテッド』誌のカメラマンが来社し、スピードライト(ストロボ)との同調速度を速めてほしいと依頼がありました。ストロボは、シャッターが全開している間に光らなければなりませんが、当時のシャッタースピードは125分の1秒でした。これを500分の1秒にしてくれと言うのです。それは無理だけれど何とかしようと改良を重ね、まずは200分の1秒で製品化、まもなく250分の1秒も実現しました。これにより、レンズシャッター付き中判カメラでしか撮影できなかった、明るい室内での動きの激しいスポーツ写真も、35ミリカメラで撮影が可能になりました。ニコンがその先陣を切ったのです。

ユーザーの期待を裏切らない

それからしばらく後のこと。テレビの大相撲を何げなく見ていて、偶然、映し出された新聞社のカメラの放列がすべて35ミリカメラであることに気づきました。私は驚きました、こんなすごいことをやったのかと。自分たちの作った技術が、いつの間にかユーザーに受け入れられて、当然のように使われている。技術者冥利に尽きると感じましたね。

この技術もユーザーの要望がなければ開発はずっと遅れたでしょう。最初に『スポーツ・イラストレイテッド』から依頼があったときはいったん断っている。再度、来社しての依頼があって、ではやろうかということになった経緯があるからです。

ユーザーフレンドリーであることは、マニュアルフォーカス・カメラのレンズをオートフォーカス(AF)カメラでも、そのまま使えるようにしたことも挙げられます。カメラ本体とレンズとの接合部をマウントといいますが、当社はこのマウントの規格を変えなかった。他社はAF移行時にマウントを変更したところが多かったのです。

もちろんカメラやレンズの機能が向上し、組み合わせによっては、その新しい機能を発揮できないこともあります。ですが、新製品が出てこれまでの古いのが使えなくなったら、ユーザーはがっかりです。今のデジタル一眼でも、制約はあるもののニコンのものは従来のレンズが使えます。ユーザーの期待を裏切らないというニコンの技術陣の気風を継承し次の世代に伝えることができたことは、私の誇りでもあります。

週刊東洋経済編集部
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