教育が職業に直結、ドイツ社会の「雇用哲学」 秘書も「職業資格」が無ければ採用されない

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これを解きほぐすと、こういうことだろう。職業訓練の機会を提供することで雇用に値する「専門性の高い歯車」(=人材)を作ることになる。そうすれば失業者を出しにくくなり、社会保障などの給付を抑えることにもつながる。これは1960年代後半に打ち出された経済成長と完全雇用の達成ということが影響しているのだろう。今でもメルケル首相率いるCSU(ドイツキリスト教社会同盟)からは「雇用創出は社会的である」という言い方が出てくる。

「職業教育を受けることは、両親にとっての誇りになる」。商工会議所やバイエルン州による職業教育をすすめるポスター(筆者撮影)

とはいえ、企業の管理職らと話していると、職業訓練を引き受ける理由として、若いうちから自社に合う社員を育て、職業訓練を終えたあともとどまってもらいたいから、という本音も出てくる。

中には「企業は安い労働力と見なしている」とする指摘もある。それにしても、経済環境が厳しいときにも、社会的に若い人に職能をつけるという責任は果たしてきた面もあり、これは「ドイツが自慢してもいいこと」と言う人もいる。

また「一人前」になったあとも、商工会議所などが用意する職業の「継続教育」によって、職能を高め、よりグレードの高い「職業資格」を得る人も多い。これも社会全体で個人の能力を高めるという考え方と関連している。そのため自治体が企業誘致を行うときも、事業立地の優位性のひとつに「継続教育についても充実した地域社会である」というアピールをする。

「釣りができる人材」を社会全体で育成したほうがよい

ここで日本の状況を見ると、社会全体で「人材育成」を考える発想が少ないことが浮かぶ。終身雇用制が維持できた時代は、多くの会社(=私的セクター)が責任を持って人々の雇用を守り、「社内」という限られた組織の中ではあるが、キャリアもアップできた。

しかし、経済環境の悪化で、終身雇用制が保てなくなると、派遣社員というかたちで人件コストの最適化を図った。短期的に見ると企業経営の健全性を保つ手段だが、社会全般を見ると、職能を持たない若年層が増え、将来的にもキャリアアップがはかりにくい状況を作っている。これを「自己責任」とするには、問題が大きすぎる。また、こういう現状から考えると、将来の人材の先細りや、ひいては、社会そのものの疲弊というリスクも高まる。

ひるがえって、ドイツでは2015年に移民・難民が大量に押し寄せてきた。以来、混乱や問題、課題も多いが、ほどなくして、難民向けに職業訓練のプログラムをつくる企業も出てきた。そのころ、ある大手企業の管理職の1人とこの話題にふれたことがあった。「さっさと職能をつけてもらったほうが、結果的に社会全体がうまくいくという発想があると思う」という意見が出てきた。

また、教育に関する「個人の負担」に着目すると、小学校から大学まで原則無料だ。つまり、基礎教育から職業教育まで個人の負担はかなり軽い。

ところで経済的弱者への支援方法には、「空腹を満たすための食糧を提供する」方法と、「魚の釣り方を教える」方法があると言われる。後者のほうが持続可能性が高いのは明らかだ。そして、ドイツのシステムは後者に似ている。国や社会が「釣りができる人材」になるまで支援し、結果的に社会の持続可能性の高さにつながる構造だと思う。

高松 平藏 ドイツ在住ジャーナリスト

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たかまつ へいぞう / Heizou Takamatsu

ドイツの地方都市エアランゲン市(バイエルン州)在住のジャーナリスト。同市および周辺地域で定点観測的な取材を行い、日独の生活習慣や社会システムの比較をベースに地域社会のビジョンをさぐるような視点で執筆している。著書に『ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか―質を高めるメカニズム』(2016年)『ドイツの地方都市はなぜ元気なのか―小さな街の輝くクオリティ』(2008年ともに学芸出版社)、『エコライフ―ドイツと日本どう違う』(2003年化学同人)がある。また大阪に拠点を置くNPO「recip(レシップ/地域文化に関する情報とプロジェクト)」の運営にも関わっているほか、日本の大学や自治体などで講演活動も行っている。

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