26歳「SASUKE」制覇の男が怪物と呼ばれる理由 森本裕介を形作った憧れと努力と仲間との絆

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森本が第22回大会以来の聖地に戻って来たのは第27回大会だったが、そのきっかけもまた仲間との交流から生まれている。

「第27回大会前、仲間の間で雲梯が流行っていたんです。誰が一番、長く進めるかみたいなことを、みんながやっていて、1人が日本新記録を出した。僕もやってみようと思って試しにやったら、結構いい記録が出て、練習したら記録を破れるんじゃないかなと。それで本当に425mの新記録を作れて、その肩書でSASUKEの出場を勝ち取れた。

記録を狙ってみようと思ったのは、やっぱり頭のどこかにSASUKE出場につながるかもしれないという考えがあってのことでした」

2年半ぶりの憧れの舞台。大学生になっていた森本のメンタリティは前回から大きく変わっていた。

「高校生のときみたいな絶対にクリアしなければいけないという考えは捨てて、久しぶりに出られたのだから思い切り楽しんでやろうと思ったんです。練習はすごく頑張っていたんですけど、本番は思い詰めずにやろうと。そうしたらリラックスして臨めて、初めて1stステージを超えられた。メンタル面の大切さに気付けたことも意味がありましたが、なにより現実にクリアできなかった1stステージをクリアできたという成功体験が大きな自信になりました」

続く第28回大会は欠場したが、第29回大会に向けた準備はしっかりとできていた。2ndステージクリアどころか、3rdステージの最後の種目まで進出。最優秀成績者にも選ばれた。

完全制覇が夢ではなくなった

「あの大会は僕のSASUKE人生のターニングポイントだと思います。あそこまで行けたことで初めて完全制覇が夢ではなくリアルな目標として見られるようになった。もしかしたら行けるかもしれないと。それまではどこか夢物語みたいなところが正直あったのですが、本当にファイナルステージがすぐそこまで見えていたので、必死にやって目指そうと思えました」

少しずつ努力を重ねて力をつけていった(写真:TBSテレビ提供)

練習に熱が入った。内容も変えた。それまではほとんどやっていなかったファイナルステージのトレーニングを真剣に行った。やってみると、ファイナルステージの厳しさがわかった。歯を食いしばって、越えられるだけの体を作り上げていった。

「第30回は完全制覇できるだけの力をつけたつもりでしたし、自信もあったんですが、大事に行きすぎてしまった。初めて3000番という、重いゼッケンをいただいた。夢だった100番どころか、10大会に1度しかもらえない3000番という、千の倍数のゼッケンをもらって絶対にミスはできない、変なところでリタイアできないと思ってしまった。

1個、1個慎重にと思っていたらタイムアップ。でも、それも大きな教訓になりました。大事に行きすぎてはダメという。体験したからわかることがありますし、それが糧になっています」

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