(第17回)阿久悠が綴る昭和への「遺言」

(第17回)阿久悠が綴る昭和への「遺言」

高澤秀次

●「平成歌謡」が成り立たない理由

 数あるエッセイ集の中でも、昭和の戦争の子・阿久悠が、特に思いを込めて綴ったものに、『昭和おもちゃ箱』(光文社・知恵の森文庫)がある。平成の世を約18年生きた阿久悠は、ついに“平成の歌”を書かずに逝った。

 むろん、他の誰かによって平成の歌が書かれ、歌われたわけでもない。そもそも「平成」という元号は、「明治」や「大正」、「昭和」のような時代区分としての意味を最初からもってはいない。平成歌謡など、その意味であるべくもないのだ。

 実際、平成生まれの子どもたちの父兄で、書類に子どもの生年月日を書くときに、元号での表記に戸惑う人が増えているという話はよく聞く。もはや彼らは、西暦というクロニクルでしか、社会や家族の「歴史」を実感できなくなっているのである。

 昭和レトロ・ブームの背景にも、じつはそのことが作用している。『ALWAYS 3丁目の夕日』が巻き起こした昭和回顧ムードは、この物語の時間軸である「昭和30年代」が、元号による歴史感覚が生きていた、おそらく最後の時代であることと無関係ではない。阿久悠の『昭和おもちゃ箱』は、二度と帰らない時代への郷愁だけでなく、それが平成の「現在」を映す鏡にもなっている。

 ただし、歌詞でその想いを表現するとなると、それはまた別の問題だ。

 たとえば、阿久悠が世に送った『昭和最後の秋のこと』(作曲・浜圭介)がそうである。この期待の1曲は、森進一、桂銀淑の競作という話題性にもかかわらず、大ヒットには至らなかった。
 なぜか。
 この歌がリリースされた平成11(1999)年、人々はすでに「昭和」という時間感覚を完全に失っていたからである。「昭和30年代」というクロニクルが、回顧的に甦ってくるのは、皮肉にもこの歴史的な「昭和」の忘却と同時にである。人間はえてして、肝心な心の記憶をトータルに失った時に、断片的な何かを鮮明に想い出し、精神のバランスをとるものなのだ。

 「歌謡曲の元気がない。中には歌謡曲は昭和とともに終わったという人もいる。そうかもしれない。だとすると、昭和とともに終わったのは歌謡曲ではなく、歌にして語りたい人間や、人間の愛しさや健気さがなくなったことになる。それなら昭和最後の秋まであって、いま無いものは何だろうと考えた。たった十一年前のことである。十一年前なら、忘れ物を取りに戻れる」(「昭和と歌謡曲」、『昭和おもちゃ箱』)

 そう、たった11年前のことが、深刻な記憶喪失を引き起こす時代に、この頃の日本はさしかかっていたのだ。
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