何もかも自由なのに、チーム力抜群の会社 | こんな働き方があってもいいじゃないか

何もかも自由なのに、チーム力抜群の会社

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出社時間もなければ、出社義務もない、"スーパー自由主義"

國貞 文隆(ジャーナリスト)
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今、急速に頭角を現しているベンチャー企業がある。創業からまだ5年しか経っていないがブルームバーグやロイターといった業界の雄を向こうに回しビジネス情報版のグーグルのような存在になろうとしている。その名をユーザベースという。
代表は2人。その1人、梅田優祐氏は葉山在住でサーフィンが趣味。もう1人の新野良介氏は美術史が趣味で、近くシンガポールに移住するという。この会社の経営方針は一風変わっている。出社時間もなければ、出社義務もない。服装も働き方も何もかも自由。にもかかわらず、会社のチーム力は抜群らしい。彼らは一体どんなビジネスをして、どのように組織を動かしているのだろうか。


新野良介
1977年、群馬県生まれ。2002年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、三井物産に入社。生活産業分野において事業投資部隊に所属し、国内中間流通戦略の立案、事業投資の実行、企業再建に携わる。2007年にUBS証券に入社。投資銀行本部にて消費財・リテールセクターを担当し、企業の財務戦略アドバイ ザー業務に携わる。2008年にユーザベースを設立し、代表取締役に就任。

使いにくいデータベースが世界の標準だった

―――そもそもビジネス情報の会社をなぜつくろうと思ったのですか?

新野:私はもともと1社目が三井物産で、そこからUBS証券に行ったんですね。梅田も戦略系コンサルのコーポレートディレクション(CDI)からUBSにやってきて、中途採用として一緒になったんです。
 商社やコンサル、外資系金融機関の場合、若手はよく寝ないで仕事をしていると言われますが、実はその大半の時間はビジネス情報をまとめるために必死になっているのです。それをもっと効率化できないかと思ったのがきっかけです。

―――新聞やビジネス誌、IR資料の情報だけでは足りない?

新野:情報自体はあちこちにあると思うんですが、例えば、市場規模はこっちから取ろうとか、各社の財務はここから取ろうとか、ワンストップになっていなかったんです。

もちろん会社にも金融関連のデータベースがあるのですが、いっぱいおカネを使っているわりに現場の人はなかなか早く帰れない。現場のニーズにしたがって、ワンストップで提供できる仕組みをつくろうとしたのがスタートです。

梅田:ワンストップはもちろんですが、B to Cの世界では、検索ボックスにキーワードを入れれば、すぐに情報にたどりつけるのに、会社にある専門のデータベースを使うには、最初に使い方をトレーニングしてもらわないと使えない。B to Cの世界では考えられないような状態だったんです。

こんなに使いにくいものが世界のデファクト・スタンダード(業界標準)なんだと。ビジネス情報の世界でもっとシンプルなシステムをつくれないかということも1つのきっかけになりましたね。

―――2008年4月に創業されましたが、リーマンショックもあった激動の年です。

新野:創業後の1年間はシステムをつくっているだけでしたから、会社の資本金も、個人の預金もどんどん減っていきました。時間との勝負でしたね。そこにリーマンショックが来た。時期としては最悪のローンチでした。

でも、結果としてそれがよかったんです。結局、お客様もコスト削減の中で、本当によいものを見極め、限られた予算で、どれを採用するのか、相当真剣にやっていただいた。逆にそれが参入のチャンスになったんです。


梅田優祐
1981年、アメリカ合衆国ミシガン州生まれ。2004年に横浜国立大学経営学部を卒業後、コーポレイトディレクションに入社。製造業・商社を中心とした 全社成長戦略や再生戦略の立案・実行支援、食品メーカーなどのBPRを中心に携わる。2007年にUBS証券に入社。投資銀行本部にて、事業会社の財務戦 略の立案、資金調達支援、自己勘定投資に携わる。2008年にユーザベースを設立し、代表取締役に就任。

リーマンショック後に役員から「もうやめましょう」

―――しかし、起業後すぐにリーマンショック。こんなはずじゃなかったと思いませんでしたか?

梅田:それはもちろんあります。そのときの感覚は、絶対いけるから突き進もうというより、今さら引き返せねえ、という気持ちのほうが大きかったですね。逆にここでやめてしまったほうが後悔する。ここまで来たら行けるところまで行こうと。しかし、それから数カ月経って、もっと資金が厳しくなってきたときに、またピンチに出くわしました。

うちのビジネスはシステムをつくっただけでは何も商売にならなくて、データが入らないと商売にならないんです。その主要なデータを提供してくれる会社が最後の最後で、契約まで結んでいた段階で、やっぱりやらないと、降りちゃったんです。

資金があと数カ月で枯渇する状況でした。そのとき当時の社外役員から「いったん畳め」と言われたんです。びっくりしましたね。「えっ、もうやめるんですか」と。

新野:「ネバー、ネバーギブアップ」とでも言うのかと思ったら、「もうやめましょう」と言われて(笑)。創業者はこうなると撤退できない。だからこそ、社外役員の機能をここで発揮するんだと言われて。「えっ」という感じでしたね。

梅田:リーマンショックが起こり、外部のパートナーは離脱し、内部の経営メンバーからも撤退しろと言ってくる。新野ら創業メンバーと会社近くの喫茶店で、善後策を相談しました。結局、みな勝算があるというよりも、ここであきらめたら絶対後悔するというほうが最後は大きかったですね。

―――あきらめずに開発を継続して、始められたのがSPEEDAという企業向けビジネス検索システムですね。

新野:例えば、「中国でのコンビニ各社のデータをまとめてくれ」と言われれば、今までは、ありとあらゆる資料に当たっていたんですが、SPEEDAの検索ボックスに「コンビニ、中国」と入れれば、市場規模、企業動向、財務データなどが一瞬にして出てきます。

さらに1つの会社をベンチマークにして分析もできますし、検索結果をそのまま図表チャート化してリポートもつくれるのです。データだけではなく、ワークフローすべてをサポートする仕組みになっています。

梅田:今ではおかげさまで、メガバンク、商社、コンサルをはじめ、皆さんが御存知の会社のほとんどで、うちのシステムを利用していただいております。SPEEDAは説明書なしで使えるのが特徴です。むろんB to Cの世界では当たり前のことですが、B to Bではそれだけで画期的だったということです。

同社のSPEEDAは企業・産業分析を行うナレッジワーカーのための情報プラットフォーム

どこで仕事をしていようがまったくの自由

―――今年で創業5年目。働き方についても注目されています。とくに驚くのは、出社時間もなければ、出社義務もない。どこで仕事をしていようがまったくの自由だということです。梅田さんは葉山、新野さんは群馬にお住まいで、プライベートの時間を重視された生活をされています。オフィスは東京ですが、毎日の仕事に支障はありませんか?

梅田:通勤時間を活用できるのが大前提ですね。基本的には情報のインプットと考えることに必ず充てるようにしています。

新野:逆に考える時間を確保できるという感じですね。強制的に。しかも自宅近辺は自然環境がいいところです。考える時間を確保するとともに東京から帰宅するときにマインドスイッチでき、オンとオフを切り換えやすいというメリットがあります。

―――平均的な1日のライフスタイルは?

梅田:朝5時起きで、5時半に家を出ます。それで6時前の電車に乗ります。葉山から逗子駅までは原付バイクか、バスかどちらかですね。オフィスには7時半に着きます。夜はできるかぎり6時頃会社を出ます。そうすると8時前には家に着けるので、家族でごはんを食べます。そのあと子供を風呂に入れて、最後にメール処理等、残っているデスクワークをして寝ます。本当は10時に寝るのが理想ですが、11時になることも。ただ12時前には必ず寝るようにしてますね。

新野:僕は6時起床で、7時台の新幹線に乗ると、9時にはオフィスに着いています。夜は10時台が新幹線の最終なので、それまでに乗るようにするといった感じです。就寝時間は12時前に寝られるといいのですが、1時くらいかな。

梅田:僕は寝ないとダメなんですよ。8時間くらい寝るというのは小学生のころから変わらなくて、いつも充分に睡眠を取るようにしています(笑)。ほかのベンチャー経営者の生活を見ていると、睡眠時間が3~4時間ですごいなと思います。でも、僕はどうしても寝ないとダメなタイプですね。

自分たちがやりたい生活の最大限を追求

―――なぜそれほどプライベートの時間を重視するのですか?

新野:じつは僕たちの会社では自由主義というのがあって、自分たちがやりたい生活の最大限を追求しているのです。

梅田:その自由主義の背景にあるのは単純なことで、人生トータルでハッピーを追求したいという当たり前の考え方があるんです。

僕の場合は、たまたま子供が生まれて、田舎で育てたいと思ったんです。地域社会の中で育て、子供が帰れる地元をつくりたい。それに海が好きだった。そうした僕のハッピーを追求した結果、葉山に行きついたのです。

僕たちは会社をつくるときに、事業での夢は当然ありますが、働き方についても、自分たちの理想を追求しようとしました。それには仕事だけではなく、プライベートも含めてトータルでハッピーな生活をしたいということがあったんです。

新野:もちろん、みんなが田舎に行っているわけではなく、東京が大好きで、高層マンションに住んで夜景を眺めることに幸せを感じる人もいます。それぞれが自由主義を追求しているんです。

(撮影:今祥雄)

※ 後編は10月8日に掲載します。