東京の「土木地形散歩」は最高におもしろい 現在の東京の骨格は江戸時代のインフラだ

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千鳥ヶ淵の水面から約1メートルのところを走る首都高速都心環状線。桜の名所としての千鳥ヶ淵の景観を損なわないよう、濠の底に橋脚が設置された。人工のダム湖として、岸の急な勾配にも注目!(写真:大村拓也)
昨年8月、土木学会が新たにつくったオンライン土木博物館「ドボ博」。インフラを人体にたとえ、ジャンルごとに紹介するその手法は、それまで固いイメージだった土木を楽しいものに変えた。徳川家康の江戸入府からはじまる江戸の土木事業から現代まで、見るとわくわくする、土木風景「ドボ景」10選を、オンライン土木博物館「ドボ博」館長の北河大次郎さん、東京スリバチ学会会長の皆川典久さん、江戸東京学を牽引する法政大学教授の陣内秀信さんの3人が選定。座談会でその風景を読み解く。
(まとめ:石原たきび)

千鳥ヶ淵―貯水のため江戸のダム湖を横断する首都高速

本記事は『東京人』2017年7月号(6月2日発売)より一部を転載しています(書影をクリックするとアマゾンのページにジャンプします)

皆川:千鳥ヶ淵は、江戸時代初期に飲料水を確保するためにつくられたダム湖。麹町の台地を流れていた自然の沢に土を盛って堰き止めて、水を溜めた人工湖です。もともとは局沢(つぼねさわ)と呼ばれ、蓮池濠を流れて日比谷の入り江に注いでいた。

北河:地形的には、見た目もダムですね。

皆川:千鳥ヶ淵へはみな、花見目的で出かけますが、実はダム湖観光でもあります(笑)。徳川家康が江戸入府後にやらねばならなかったのが、飲み水の確保。なぜなら海が近く、井戸を掘っても真水が得られなかったから。そこで土木工事で完成させたのが千鳥ヶ淵と牛ヶ淵。皇居の濠は桜田濠や大手濠など「濠」の名で呼ばれていますが、この二つだけが「淵」なのはそのためです。

陣内:もともとあった水辺を、人工的に利用しようということですね。

皆川:貯水以外にはもちろん江戸城防御の目的がありますが、現代はそこに首都高が絡んでいるところが景観的には都会的でユニークですね。

北河:形としては、ダムの周りの斜面が急勾配ですよね。土質や盛土と切土の違い、また防御施設という事情もありますが、明治時代の緩勾配の土構造物とはずいぶん違う印象です。

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