三菱電機、反対派の筆頭がIFRS導入のなぜ? 2011年、「IFRS強制適用」大反対騒動の結末

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4ページの一覧が、同要望書の差出人となっていた上場会社19社である。要望書提出時は新日本製鉄と住友金属工業は合併前だったので、当時は20社だったが、一覧では1社として扱った。トヨタ自動車、キヤノン、パナソニックに日立製作所。日本を代表するグローバルカンパニーがずらりと並ぶ。

この要望書の取りまとめに奔走したのが、三菱電機常任顧問(現三菱UFJフィナンシャル・グループ社外取締役)で、同社入社以来経理畑一筋の佐藤行弘氏だった。

三菱電機自体は長年米国会計基準だったが、当時佐藤氏は日本の、とりわけ製造業の商慣習に適合するのは日本基準であるとする持論を企業会計審議会の場のみならずメディアなどでも積極的に語っている。

IFRS反対筆頭格と見なされた三菱電機

三菱電機常任顧問だった佐藤行弘氏。当時はIFRS導入反対の急先鋒と目された(2012年4月、撮影:吉野純治)

取材に応じた佐藤氏は「三菱電機を代表しての発言ではなく、私の持論として発信していたにすぎない」と説明する。

金融庁長官への要望書提出も、「全上場会社への強制適用に反対したのであって、IFRSの導入そのものに反対していたわけではない。もとより三菱電機の利害を代表してのことではなく、人的資源に余裕のない規模が小さい上場会社にもIFRSで開示させようということ自体が現実的ではない」(佐藤氏)。

実際、要望書の内容は、強制適用への反対と、現場の議論を無視せず意見を聞け、というものであって、差出人も21社1団体のうちトップの名前になっていたのは東海ゴム工業(現・住友理工)のみで、ほかは経理・財務畑の現役もしくは元役員クラスばかりだ。

それでも、それまで2015年3月期からの全上場会社への強制適用に向け、まっしぐらだった潮流を一気にせき止めた効果ゆえか、要望書に名を連ねた企業には、IFRS反対派、中でも三菱電機にはその筆頭格という、誤解を伴う"色"がついた。だからこそ冒頭の「あの三菱電機がIFRSか」なのである。

会計基準が違うと企業の実力の見え方も変わる。1980年代以降、会計基準をめぐるグローバルな戦いが展開され、“決勝戦”の出場者は欧州生まれのIFRSと米国基準になった。

日本がIFRSの強制適用に向けて走り出したのは、米国がIFRS強制適用に向けて走り出したからだ。2008年11月にSEC(米国証券取引委員会)が、2009年12月期から一定条件下でIFRSの早期任意適用を解禁し、2014年以降段階的に強制適用するかどうかを2011年に決定する、としたロードマップを公表した。

これに追随する形で、日本は2009年6月に企業会計審議会が中間報告書を公表。2010年3月期から一定条件下でIFRSの任意適用を解禁し、2015~2016年に強制適用するかどうか、2012年末をメドに決定するとした。

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