役職者を「さん付け」する会社が崩壊するワケ 「理」の世界に「情」を持ち込むべきではない

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結論から言えば、それぞれの役職にある人たちが、それぞれの「役職の重さ」を感じなくなるからです。部長と呼ぶ。課長と呼ぶ。それは、確かに「尊称」という意味もあるでしょう。「偉そうに」という部下からの思い、「俺は部長だ」「俺は課長だ」という尊大さが感じられるということもあるでしょう。しかし、それは、部下の責任です。上司に、そのような尊大な意識を持たせるのは、部下の責任であるということです。

ごまをする、よく思われようとする、そのような卑屈な意識を持つから、上司は「偉そうにする」「尊大ぶる」ということになるのです。そうではなく、「部長」「課長」と呼ぶ際には「あなたは部長としての自覚がありますか」「責任感がありますか」という意識をこめて呼べばよいのです。部下がそのような思いで肩書で呼ぶということであれば、「部長」「課長」と呼ばれて、彼らは「尊大な言動」をとることはできなくなるはずです。

また当然のことながら、課長の上司に当たる部長も、課長のことを肩書を付けて呼ぶべきなのです。それは尊称ではありません。「さん付け」をしてしまえば、「責任感なき部長」「自覚なき課長」を生み出します。当然、会社全体、組織全体が「無責任集団」になります。会社が「無責任集団」になれば、やがて衰退、はては倒産、あるいは現状のままで発展成長しないのは当然でしょう。

取引先は「さん付け」をしてくる相手を軽く見る

「さん付け」の問題点は、やがてその社員は取引先に対しても「さん付け」を始めてしまうことです。重要な取引先との交渉の席で社長、部長、課長に肩書で呼ばなくなってしまう。「ここはひとつ、岡田部長、ご理解いただけないでしょうか」と言うべきところを、「ここはひとつ、岡田さん、ご理解いただけないでしょうか」と言い出してしまう。

取引先は「さん付け」をしてくる相手を軽く見ることでしょう。よく言えば友達感覚で親しく話をしているようにも感じるでしょうが、心のなかで「この人、どれほどの責任をもっているのだろうか」と思案するかもしれない。そのような状況で、取引がうまくいくはずはありません。

「さん付け」の問題点は筆者の実体験に基づいています。松下幸之助さんからPHP研究所の経営を任されたときのことです。創設以来、30年間、ほとんど赤字赤字の連続でした。売り上げも最高9億円。どうするか。いくつもの手を打ちましたが、そのうちの1つが、それまで30年間続けられていた「“さん付け”をやめる。これからは肩書で呼ぶようにする」ということでした。

経営を引き受けて、3年、役職者の人たちから、強烈な責任感がないように思える。なぜだろうといろいろ考えた結果、「さん付け」にあるという思いに至りました。新入社員も「加藤さん」、課長も「岡田さん」、部長も「山田さん」。そこには新入社員の先輩に対する意識も敬意も希薄。課長は課長としての、部長は部長としての責任も誇りもありません。

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