山口絵理子が探し続ける「輝ける場所」とは?

マザーハウスが起こしたモノづくりの奇跡

「君はなんでそんなに幸せな環境にいるのに、やりたいことをやらないんだ?」と、バングラデシュの人たちに問いかけられているような気がして…
マザーハウス代表兼デザイナーの山口絵理子氏は、国境を超えたモノ作りの奇跡を起こしてきた起業家だ。その軌跡は東洋経済オンラインでも取り上げたことがある(「なぜマザーハウスはジュエリーを始めたのか」「マザーハウスは"外れ値"からパリを目指す」)。その山口氏が自身でその半生をつづった『裸でも生きる3~輝ける場所を探して~』を上梓。そのプロローグの全文を紹介する。

 

私は「マザーハウス」というブランドの代表兼デザイナーを務めている。『裸でも生きる~25歳女性起業家の号泣戦記~』『裸でも生きる2 Keep Walking 私は歩き続ける』(ともに講談社)を読んでいない方のために、まずは自己紹介をさせていただきたい。

1981年、私は3人姉弟の真ん中として埼玉県で生まれた。

父は不動産業を営む傍ら、陶芸家としても活躍していて、実家には陶芸用の窯があり、父は陶芸教室を開いていた。熱心に粘土から立体を作る陶芸家としての父の姿は、バイタリティあふれるものだった。

「窯の温度を見てくれ」と頼まれアトリエに行くと、生徒さんたちの作った作品が置かれていて、それを見て自分でも作ってみた。葉っぱの形のお皿や、何かの生き物のような形の花瓶を作ってみたが、どことなく、いまデザインしているバッグの形と似ていたので、人間の根っこは変わらないなぁと思ったりする。

母親は茶道をこよなく愛する、とても小さくて、でも強い人だ。

私は2人から、強さも優しさも教わった。

なじめなかった小学校、一転はじけた中学時代

小学校時代の私は、学校になじめなかった。男子児童からたびたび暴力を受け、学校に行けなくて、教室に入るのさえ、自分としては夢のように思えた時期もある。そんなとき、父も、母も、頭ごなしに何かを強制するわけでもなく、一緒に通学路を歩いてくれた。

父は厳しかったけれど、大好きな絵を習わせてくれたし、何より、何にでも全力で取り組む父の背中は、「人生って楽しそうだな」と、学校で絶望感いっぱいの私には、輝いて見えた。

中学は、埼玉県の宮原中学校という公立の学校に通っていた。エネルギーが余っていたのか、やんちゃだった時期もある。金髪にしたり、たばこを吸ったり、バイクに乗ったり、パチンコ屋でスロットをやったり、廊下で打ち上げ花火をやったり、理科室の試験管を割ったり。授業はあまり受けたことはなく、いま思えば、やりたい放題だった。

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