山口絵理子が探し続ける「輝ける場所」とは? マザーハウスが起こしたモノづくりの奇跡

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それでも、高校3年生のとき、再び埼玉県で優勝をした。関東大会で2位になり、ずっと夢だった全日本の舞台に立ち、軽量級で7位になった。

「よくやったなぁ私」

そう思った瞬間、何の未練もなくなり、柔道着を段ボール箱にしまった。

新たな夢を抱いて

次に、私は身の程を知らずに、新たな夢を持った。

「大学に行きたい」

人生でまともに勉強した時期がなかった私が、工業高校から大学進学を夢みた。いじめられっ子だったことから、いつか政治家になり、日本の教育を変えたいと思ったからだ。

浪人覚悟で挑んだ受験だったが、AO入試(書類選考と面接によって選考する)という試験を経て、奇跡的に慶應義塾大学に入学した。

私はそこで、すばらしい出会いを得た。

一人は、竹中平蔵先生。ちょうど大臣になる頃の1年間、先生は私のいたキャンパスでゼミを持っていた。臆病で内気な私だったが、そのゼミで発表をした日、先生はトイレの前ですれ違いざまに、「よかったですよ」と言ってくれた。私はその言葉が今も強く記憶に残っている。

(こんなすごい人が、私に話しかけてくれた! しかも“よかったですよ”って言ってくれた!!)

大学の4年間で一番うれしい瞬間だった。

そしてもう一人、現在マザーハウスの副社長である山崎大祐とも、このゼミで出会った。いつもはじっこにいる私、ゼミで幹事を務めていた一つ先輩の彼。

あまりにもレベルが違いすぎて、最初は話すのも緊張したが、彼はとても公平な人で、コンプレックスだらけの私にも、研究のアドバイスをくれたり、哲学的な話も親身になって聞いてくれた。思えば、あの大学4年間の哲学的な話し合いに、マザーハウスの根底に流れる問題意識のすべてがあるように思える。

大学卒業後の進路は、私の人生のターニングポイントだ。みんなが就職活動をする中で、私は一人、ワシントンにいた。私は大学に入ってからもずっと「教育」に興味を持ち続けていた。

「もっと楽しい学校を作りたい」「既存の教育は何かが間違っている」

そんなふうに生意気に考えていたのだ。でも、大学の「開発学」の授業の中で、「教育を必要としているのは、途上国と呼ばれる国々で、国の成長は人の成長にかかっている」という趣旨の講義を聞いたとき、私の視線は国内から世界に移り、「途上国のために働きたいな」と思ったのだ。

それ以降「国際機関」と呼ばれる組織が私のあこがれになった。

ある日、その中の一つ、「米州開発銀行」という国際機関がアルバイトを募集していることを知り、私はだめもとで応募し、運良く選考を突破。はじめてのアメリカ、はじめてのワシントン、はじめての国際機関、はじめての国際会議、はじめての上司はアルゼンチン人。すべてが新鮮で、ドキドキした。

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