安倍首相は、自分を「少数派」と考えている 産経名物記者は、なぜ安倍首相を書いたのか
1990年に産経新聞に入社し、はや26年以上の歳月が経った。そのうち18年余を政治部記者として過ごしてきたわけだが、その間ずっと、安倍という政治家を見続けてきたことになる。
自分が関心を持ち、担当した相手が、ある時からあっという間に出世の階段を駆け上り、頂点に着いたと思ったら急転直下、奈落の底に突き落とされる。そして再起は難しいと誰もが思う中で力を蓄え、仲間を集めて自力ではい上がり、また天辺に立って多くの仕事を成し遂げる。
その多くの場面を比較的間近から眺め、直接本人に取材してこられたのだから、政治記者冥利に尽きる幸運なのだと思う。
マスメディアからこれほど感情的に攻撃される理由とは
今でこそ自民党は「安倍一強」「官高党低」と指摘され、安倍の「意向」は「威光」となって党を従えているように言われるが、もともと安倍は主流派でも何でもなく、むしろ党内にあっては異端だった。
おそらく安倍は最高権力者となった今も、自分やその同志たちを自民党内においても政界全体においても「少数派」だと自覚しているはずである。名門政治家の家系に生まれたからといって、体制派や主流派として育ち、生きるとは限らない。
むしろ安倍のここに至るまでの政治家としての歩みと戦いは、少数派である理念的な保守主義者が決して多くはない仲間たちをまとめ、徐々に増やして戦後社会の主流派・多数派であるノンポリや何となくリベラルの集団の中で覇権を目指すというものだった。
安倍がリベラル・左派の巣窟である朝日新聞をはじめとするマス・メディアからこれほど感情的に攻撃されてきたのも、安倍やその同志たちの存在自体が彼らには排除すべき異物に見えるからだろう。
新聞業界内では長年、右翼紙扱いされ、主流派・多数派の左派系同業者らから保守的主張や意見に対し、あからさまな侮蔑と警戒を示されることも珍しくなかった産経新聞の記者である私には、それが分かる気がするのだ。
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