「日本が無条件降伏した」という事実は重い
有馬:日本と旧ソ連が「日ソ共同宣言」に署名したのは1956年の10月19日。この時、旧ソ連との第2次世界大戦からの戦争状態が終わったわけですが、その60年後の今年12月15日、安倍首相が地元の山口県長門市の「大谷山荘」でロシアのプーチン大統領と会談します。
北方領土やロシアとの平和条約を締結するうえで、極めて重要な会談になりそうですが、実は北方領土(歯舞<はぼまい>諸島・色丹<しこたん>島・択捉<えとろふ>島・国後<くなしり>島)の問題は、事実を知らない読者が大半です。「4島」なのか「2島」なのかという議論が漠然と盛り上がっていますが、北方領土問題の解決や平和条約締結に向けては、何がポイントとなるのでしょうか。
鈴木:北方領土問題は、日本の戦後処理で解決されていない問題です。改めて歴史を振り返りながら、お話ししましょう。まず、旧ソ連時代のポイントは少なくとも4つあります。
はじめに1956年の日ソ共同宣言(両国の議会によって批准された国際条約)が結ばれた背景を知る必要があります。1945年8月15日の終戦後すぐの同年9月2日、日本は東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ号で無条件降伏文書に署名するわけですが、これが戦勝国側から見た国際標準のスタートラインです。
それに先立つ同年の2月、クリミア半島でヤルタ協定が結ばれます。英国チャーチル首相、米国ルーズベルト大統領、ソ連の最高指導者スターリンという3カ国の首脳によって戦後の処理方針を決めた秘密協定ですが、北方領土問題との絡みで言えば、ソ連の対日参戦と、ソ連への千島列島の引き渡しが書かれています。実際、ソ連は同年の8月9日に対日参戦してきました。
これは1941年に結ばれた日ソ中立条約に対する明らかな違反ですが、戦勝国のソ連からすれば「日独伊3国同盟」で、ナチスドイツによって3000万人の犠牲者が出たという主張になるわけです。国際社会の中でも、ヤルタからの議論が認められているのですから、ここが最初の重要なポイントになります。
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