追い詰められる、福島・双葉町123人の避難民 全国でただ1つ残る埼玉の避難所が閉鎖の危機
食事の回数を減らして生活費を捻出

町役場の移転が目前に迫る中で、社協の移転についても「どうするかを詰めている最中」(大住宗重・健康福祉課長)。一部の職員が残るとしてもサポートが手薄になるのは避けられないことから、「埼玉県や地元の加須市に支援をお願いしている」(同氏)という。しかし、新たな住まいの確保を含め、具体的な支援の方策は何も決まっていない。
校舎内で暮らす住民の中には、生活に困窮する人も少なくない。
双葉町で理髪店を経営していた大井川繁光さん(74)もその一人だ。現在、避難所で共同生活を送る大井川さんは、手続きに時間がかかっていることから、東京電力から賠償金を受け取っていない。大井川さんは加須市内にNPO法人が開設した避難者のサロンで仕事を再開したが、孫の教育費がかさむため、「1日3食のところを2食に減らして教育資金を捻出している」(大井川さん)という。

高校の敷地内の生徒ホール2階で避難生活を続ける菅本章二さん(57)は、双葉町でコメ作りをしてきた。だが、原発事故で田畑を失ったうえ、要件を満たしていないために雇用保険の受給もできなかった。
それゆえ東電からの賠償金が命綱だったが、昨年6月までの賠償金が入金されたのは今年3月。手元にあるわずかな資金を節約するために食事を抜くこともしばしばあるという。その菅本さんは町が4月下旬に実施した避難所生活に関する意向確認のヒアリングの際に「最後まで避難所に残りたい」と答えている。「なぜ放射線量が高い福島県内に戻らなければならないのか」と菅本さんは疑問を投げかける。
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