コーヒーに全てを捧ぐ男のこだわりと寄り道 「至高の一杯」の裏には妥協のない努力がある
――豆の一粒、一粒ぬかりなく大切にされているんですね。
川島氏:それでもまだ油断できなくて、大切に運ばれてきた豆が日本に到着後に劣化を防ぐ工夫をしています。到着後直ぐに定温倉庫に運ばれ、小さな袋に小分けをし、脱酸素剤を使って小分けし、ゆっくりと袋の中の酸素を抜いて行きます。真空パックの機械を使わないのは、圧が豆に掛かり過ぎるからです。
会社がここに移転するまでは、倉庫と本社機能、焙煎場が別々の場所にあったのですが、一貫して管理できるようにと、2015年にオフィスと焙煎所を、ここ港区海岸に移転しました。
――コーヒーに対する川島さんの並々ならぬ愛情を感じます。
川島氏:これしかできないんですよ(笑)。ワインと同じように、産地・品種・高度そして年度によって一粒一粒、顔が違う珈琲の魅力を知って欲しいという想いがあります。その想いを皆さんに伝えたくて、本当の「最高級」を届けるため、何ができるかを考える日々です。
今は、年間130日は産地に入って世界中の農園を飛び回っています。先日もタイの農園に行っていましたが、この原稿を目にする頃は、ブラジルの農園にいると思います。そのほか、全国各地での講演、11年目になる東大でのコーヒーサロン……、サステナイナブルコーヒー協会の活動と、大好きな珈琲の世界にどっぷりと浸かっています(笑)。小さい頃憧れた職業に、今こうしてライフワークとして携われることに幸せと誇りを感じています。
農園で働くために書いたブラジル大使館への手紙
川島氏:私は、コーヒー焙煎卸業者の子どもとして、静岡で生まれました。協調性のないこどもで、勝手気ままに好きなことをやっていました。そのくせ内弁慶で人見知りが激しく、幼稚園は退園させられるほどでした(笑)。
小学生になると、班活動でも好き勝手していたので、担任の先生から「川島君は一人で班を作りなさい」と言われて、私もめげずに一人で点呼するなど“班活動”していました(笑)。合唱の時も、クラスで歌が下手だからと声を出すのを禁止されたりと暗黒時代でした。今、カラオケで歌えないのもそのせいですね(笑)。