尖閣問題で感じた、我ら日本人のビビり根性 首相補佐官として見た、尖閣問題の真実

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「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。図に当たらぬは犬死になどといふ事は、上方風の打ち上がりたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当たるやうにすることは、及ばざる事なり。我人、生くる方が好きなり。多分好きの方に理が付くべし」

これは『葉隠」の有名な一節です。私なりに現代語に直すと、次のとおりになります。

「防衛というのは、死ぬことですよ。生きることと、死ぬこととの2つの道を選べる場合は、何が何でも絶対に死ぬ道を選びなさい。つべこべ言うな。腹を決めて、ただ猛進しなさい。『犬死はダメだ。うまいこと立ち回りなさい』というのは、軽薄で、お調子者の防衛論だ。生きるか死ぬかのぎりぎりの局面では、物事は計算どおり行くことはない。

人は誰しも楽な道を選ぶに決まっている。いい格好をして『タイミングが悪い』とか『もっと戦略的にやらないと』とか、さまざまな屁理屈をぺらぺら語っているけど、要は死ぬのが怖いんでしょ。武士の進むべき『死への道』を避けて、だらだらと女々しく生きたいから、適当な言い訳をしているんでしょ」

手を縛られている日本外交

意訳になってしまいましたが、いずれにせよ、こうなると、中国と対峙していた日本政府は「はしごを外された」格好となります。交渉の立場はたちまち弱くなります。というのも、交渉する者としては、振り返れば、誰もいないどころか、自国民に鉄砲で撃たれるのですから、当然、中国は、国民の支持を得られていない政府の足下を見ます。

よく政治家や外務省は「弱腰だ」と、とがめられます。私の今回の経験では、日本政府は「弱腰」というようなものではなく、「手を縛られながら」外交をやっているのです。なぜなら、日本は、「外交の最後の手段である」武力を使う、心の準備ができていないからです。憲法とか、防衛力の質量とか、自衛隊の士気とか、そんな高尚な話ではありません。私たち国民自身が、国土のために命を懸けるのかどうか、という安全保障の基本中の基本の話です。  

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