英語が話せないと、「真の日本人」になれない 一人娘をインターナショナルスクールに入れた理由

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日本人はどうやって日本人になるのだろうか? そんな誰もが意識したことがないことを、グローバル化という視点でとらえていくとどうなるだろうか? 21世紀のグローバル化が私たちに突きつけている問題は、国際標準語(英語)を話す国際人になることではない。日本人という確固たるアイデンティティを持って、世界を舞台に活躍できる人材になることだ。
しかし残念ながら、日本で日本人の両親から生まれ、日本の教育を受けて育つと、真の日本人にならない。一人娘をアメリカと中国の教育で育てたジャーナリストが、その経験を基に、日本人とは何かを問いかける。
1990年代、駅前留学のコピーで英語ブームを演出したNOVA。2007年に経営破綻した(写真:AFLO)

トリリンガルになった娘

私の娘がインターナショナル・スクール(以下インター)のキンダーガーテン(幼稚園)に入ったのは1987年の9月のこと。娘はまだ3歳だった。以来、娘は学校では英語、家では日本語という生活をしてきたので、バイリンガルに育った。その後、アメリカの大学と大学院に進み、その間、中国の南京大学で2年ほどを過ごしたため、中国語とのトライリンガルになった。

この間、親も娘に追いつこうと英語の勉強をしたものの、大人になってからだったせいか、ネイティブの娘には遠く及ばなかった。今も、娘に「恥ずかしいから、私の前ではそんな英語を使わないで」と言われる。

思い起こせば、娘がインターに入ったときは、バブル経済の真っ盛り。“ジャパン・アズ・ナンバーワン”が実現したという時代だった。1985年のプラザ合意まで1ドル=240円だった円は1年後には150円まで上がり、ジャパンマネーは世界を席巻していた。

何しろ、あのマンハッタンの象徴ともいうべきロックフェラーセンターを三菱地所が買ってしまうという時代だった。

そして、このバブル期に盛んに言われたのが、“国際化”である。

日本人は一日も早く「国際人」になるべきだと言われ、大学には国際学部が次々に誕生した。英会話学校が盛況を極め、英会話ブームが起こり、1990年代に入ると「駅前留学」が大流行した。当時、娘もNOVAのCMのセリフ「No problem. I am NOVA.」を、何かあると口にしていた。

そこで、いま思うのは、なぜあのとき、日本は教育を本当に国際化しなかったのか? ということだ。幼児からの英語教育の重要性も言われていたのだから、このとき公教育の現場で「本当の英語」教育をスタートしていれば、日本経済はここまで落ち込むことはなかっただろう。

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