全米を驚かせたニンジンの奇抜すぎる売り方 私たちの健康は食品メーカー次第だ

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米国で人気を博した〝ジャンクフードのようなパッケージ〟のベビーキャロット。健康食品然としたものでは、消費者に広く受け入れてもらうのは難しい(写真提供:Bolthouse Farms)

カワチ氏が専門とする公衆衛生学は、人々の健康増進を促すための施策を考える学問だ。「野菜を食べましょう」「塩分は控えましょう」といった啓発活動もその一つではあるが、実践してくれるのは健康意識の高い人ばかり。一方で生活に余裕がなく、最も健康を害しやすい層には届きにくい。これはむしろ「健康格差」の拡大につながる。

週刊東洋経済7月2日号(6月27日発売)は、『健康格差』を特集。所得や雇用、教育といった経済的、社会的な格差が、健康の格差につながっているという実態に迫った。公衆衛生の専門家たちがつねに考えているのが、先述したような健康に無関心な層をいかに巻き込むかということ。彼らに健康な生活を送ってもらうためのヒントが、ボルトハウスのベビーキャロットにあったのだ。

行動経済学がひもとく「無関心層の取り込み」

この現象を理論的にひもといてくれるのが、行動経済学である。意図したとおりに人間が行動しないのはなぜか、を考える学問だ。人の意思決定の過程には「システム1」と「システム2」という2つの機能が共存するという。システム1は直感的、感情的な判断をつかさどる。一方のシステム2は理にかなった合理的な判断をする。

先述した啓発活動はシステム2、つまり人間の合理的な脳に訴えかけている。前提にあるのは、人間はつねに理にかなった行動を取るということ。しかし実際はそうではない。野菜を食べることがよいとわかっていても、ポテトチップスを食べてしまうことはある。

食品メーカーの広告戦略は逆だ。たとえばファストフードのCMでは、焼きたてのジューシーなハンバーガーと揚げたてのフライドポテトが映し出され、人気俳優が口を大きく開けてがぶりとかじる。「ああ、美味しそう」。多くの人が思わず口に出してしまうだろう。そして商品の写真でレタスなどの野菜もたっぷり挟んでおくことにより、「野菜が入っているから健康面でも問題ないだろう」と思わせる。これはまさにシステム1、人間の直感に訴えているのだ。

ベビーキャロットのキャンペーンはまさにここに注目し、成功を収めた。実はダン氏がコカ・コーラから移籍してきたのは単なるキャリアアップではなかった。「1年にコークを1000本飲む人がいる。この世界が進む方向が見えてしまったんだ」。コーラを売れば売るほど、肥満を増やすのではないか。実際の仕事と自分の感情がぶつかったのだ。

ダン氏のキャリアが物語るように、われわれの健康に対する食品メーカーの影響は大きいといえる。これは日本でもいえることだ。イチから自分で料理したものを食べるという習慣は徐々に薄れ、中食や外食が台頭し出来合いのものを食べる機会がひと昔前よりも格段に増えた。東京大学大学院医学系研究科の佐々木敏教授(公衆栄養学)は「日本人の健康は、食品メーカーの経営者の決断にかかっている」と断言する。

前出のハーバード大のカワチ教授は昨年、『行動経済学と公衆衛生(原題:Behavioral Economics & Public Health)』という教科書を出版した。両分野のコラボレーションが実現した初めての教科書だという。「これから少しずつ現実の健康に役立たせていきたい」というカワチ教授。今後生み出される研究成果が食品業界、そしてわれわれの食や健康をよりよいものへと変えてくれることを期待したい。

中川 雅博 東洋経済 記者

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なかがわ まさひろ / Masahiro Nakagawa

神奈川県生まれ。東京外国語大学外国語学部英語専攻卒。在学中にアメリカ・カリフォルニア大学サンディエゴ校に留学。2012年、東洋経済新報社入社。担当領域はIT・ネット、広告、スタートアップ。グーグルやアマゾン、マイクロソフトなど海外企業も取材。これまでの担当業界は航空、自動車、ロボット、工作機械など。長めの休暇が取れるたびに、友人が住む海外の国を旅するのが趣味。宇多田ヒカルの音楽をこよなく愛する。

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