ソニーが「新銀座ビル」に込めた復活への誓い 創業者のDNAは新ビル計画にも反映している
6月13日、ソニーは東京・銀座の数寄屋橋交差点にあるソニービルの建て替え計画を発表した。本稿では、「いったん更地にしてしまう」という独創的な計画に込められた、ソニーのブランディング戦略を深掘りしていきたい。
現在のソニービルは、今から50年前の1966年4月29日にオープンした。ソニー創業者である盛田昭夫氏が、「世界一地価が高い贅沢な場所に、電機専業メーカーがビルを建てることは、思い上がりも甚だしいと言われるかもしれない」としながらも、「建てると決めた以上は最大の効果をあげるべく全力を尽くす」という強い意思でオープンした拠点だ。
「こんな地価が高いところでは、どんな商品を売っても採算があわない」との理由から、各社各種の商品が展示できる総合ショールームにすることを決断し、ソニーからの情報発信基地に留まらず、当初は、他社のクルマやバイク、楽器なども展示されていたという。かつてはマキシム・ド・パリが入居。現在はサバティーニ・ディ・フィレンツェが入居するなど、話題の高級レストランがあることでも有名だ。
50年前は先進的なビルだったが……
建設当時はまだ、周りには高いビルが少なく、ソニーの先進性を打ち出す象徴的なビルといえたが、それから50年を経過し、変化が激しい銀座の街の中では、むしろ老朽ビルの一翼を担う位置づけになってきた。銀座を訪れた国内外の観光客が、ソニービルを見ても、ソニーの先進性をイメージしにくい存在になっていたことは否めないだろう。
ソニーは約3年前から、ソニービルの建て替えを検討。6月13日、ソニービルをリニューアルする「銀座ソニーパークプロジェクト」を発表した。この計画を見ると、50年の時を超えても、盛田昭夫氏の精神を強く受け継いだプランになっていることは見逃せない。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら