ジョブズが憧れたロケット・ササキ最強伝説 シャープの佐々木正氏は何がすごかったのか
ビル・ゲイツの功績を一つだけ挙げよと聞かれたら、かならずこう答えている。それはOSを標準化したことではなく、集積回路すなわちLSIの価格を劇的に下げたことだと。
1965年、インテル創業者の1人であるゴードン・ムーアは「ムーアの法則」を発表した。その法則とはLSI上のトランジスタ数は18ヶ月ごとに2倍になるというものだ。近年にいたるまでこの法則は現実と符合していた。
しかし、トランジスタ数がまさに倍々ゲームで増加しても、LSIの価格はむしろ劇的に低下していった。50年前の大型コンピュータをはるかに凌ぐ性能を持つCPUチップを、いまでは100円以下で買うことができるのだ。
安くなった要因は、トランジスタの集積率が上がったために原価が下がったからだけではない。ICを利用した機器が大量に販売されたからでもある。
ビル・ゲイツはOSをIBMに売り渡すのではなく、IBMの競争相手であるNECなどにも販売する権利を確保した。結果的にパソコンメーカー間の価格と性能の競争が促進され、ユーザーはより安く高性能になったパソコンを数年に一度買い替えるようになったのだ。地球を覆い尽くす巨大マーケットが誕生した。
電卓戦争の指揮官、ロケット・ササキ
とはいえ、この劇的なLSIの性能向上と価格低下という現象は、1990年代のパソコン業界が嚆矢ではなかった。1960年代から30年ものあいだ続いた電卓戦争という先史があったのだ。
ロケット・ササキこと佐々木正こそ、その電卓戦争の指揮官だった。佐々木がシャープに入社した1964年、オールトランジスタの電卓が誕生した。価格は53万5000円。重さは25キログラムもあった。
それから13年後、シャープは現在の電卓とほぼ同じ形態の、太陽電池付き液晶電卓を発売した。価格は8500円。重さは65グラムになっていた。重さは384分の1、価格は63分の1になったのだ。
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