メジャーリーグの日本人は選手だけではない 元高校球児が掴んだアメリカンドリーム

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中学レベルの英語力しかない息子への大胆な提案だったが、話を聞いた植松は心を動かされた。高校3年分の英語学習を挽回するという意味では、理にかなっている。1~2年、アメリカで英語漬けになれば日本の大学でも後れを取ることはないだろう。なにより、ガラッと環境を変えて少し野球と距離を置くのも悪くない。

母親のアドバイスでパッと道が拓けたように感じた植松は、アメリカへの留学を決意した。高校で英語の「え」の字ほども勉強していなかった植松から「アメリカに行く」と聞いて、野球部の監督は反対したが、植松の視線はすでにアメリカ大陸を見据えていた。

イリノイ大学でトレーナーを目指す

2002年、高校卒業後に渡米した植松は、最初の1年間はサンタバーバラの語学学校で英語を学んでいた。ある日、現地で南イリノイ大学に通う日本人の知り合いに大学を案内してもらうことになった。その時に、南イリノイ大学の学生で、シカゴホワイトソックス傘下のルーキーリーグチームでアスレチックトレーナーをしている日本人を紹介してもらい、大学や仕事の話を聞いた。

アメリカに来てテレビやスタジアムでメジャーリーグの試合を見るようになり、「やっぱり野球って楽しい」と感じていた植松は、その日本人の話を聞いて進路を決めた。

「野球選手にいちばん近いところで働きたいと思っていたので、自分もトレーナーが合っているかもしれないと思いました。その人から、南イリノイ大学はアスレチックトレーナーのいいプログラムがあると聞いてここに来ようと」

植松は、決断からの行動が早い。翌年、南イリノイ大学を受験して合格した植松は、2003年夏からアスレチックトレーナー学科に通い始めた。

米国のスポーツ界では、日々のトレーニングをサポートするトレーナーと、負傷した選手の治療やリハビリを担当するトレーナーがいる。植松は「日本の理学療法士のスポーツ版」というケガの予防や治療、リハビリを担うトレーナーを目指した。授業はすべて英語で、しかも医療に関係する難解な内容なので、理科系を得意にしていたわけでもない植松は当初、授業を理解することすら難しかったそうだ。それでも新しい夢のために必死に喰らいついているうちに、2年が経っていた。

大学では、1年生の時から授業のカリキュラムに実習が組み込まれる。学期ごとに大学のスポーツ系の部活に振り分けられて、午後の数時間を現場で過ごすのだ。野球経験者の植松は、3年生のときにメジャーリーガーも輩出している名門野球部に配属された。

これが、転機となった。

次ページひとり三役を務めたことが監督の心をとらえた
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