いまや日本の祭りは、国際的に評価される存在だ。ユネスコの無形文化遺産に登録されている「山・鉾・屋台行事」は、2009年に2行事が登録され、現在は全国37行事が対象となっている。
登録をめぐるユネスコの決議では、地域ごとに異なる文化の多様性に加え、共同作業が地域のつながりを育むことや、知識と技術を世代を超えて伝えることなどが評価されている。見た目の華やかさだけに価値を見いだしているわけではなく、人々が一緒に取り組み、受け継ぐという営みも、評価対象になっているのだ。
祭りや神事に親しみを持ち、熱意を込める人がいる。暮らしの中の精神的な支柱として受け継がれ、その文化に国際的な評価も与えられている。一方で、いまはSNSを通じて、行事の内側にいない人も、外野から意見を言いやすい。そうした“ヨソ者の目”を通して、祭りの存在意義があらためて問い直されている。
怒りの根っこにある"妥当性"への問い
さほど愛着を持たない者は「そこまでしてまで、祭りを優先させる必要はあるのか」といった疑問を抱き、SNS上で批判の文脈から伝える。その表現は怒りを帯びている場合も少なくないが、根幹にあるのは“妥当性”への問いである。
どれだけ愛着があると言っても、人命の保護や、日常生活への負担から目を背けることはできない。また、同じ地域で育まれた“愛着”であっても、人によってグラデーションがあり、程度はつかみにくい。
その点、映像は客観的でわかりやすい。ひと目見て「これでは事故が起こっても当然だ」「そりゃ渋滞になるわけだ」と感じさせる説得力がある。長年の伝統や人間関係といった、ウエットかつ見えにくい要素よりも、インパクトのある“画”の方が、人々の印象に残りがちだ。
ただ、ここで考えなければいけないのが、どこまで「一般常識」に当てはめる必要性があるかという点である。


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