祭りは日常とは異なる「ハレ」の日だ。普段とは違う特別な時間だからこそ、ダイナミックな音や動きを発することができ、高揚感につながっていく。むしろ常識外れだからこそ、成立するのが祭りだ。
そう考えると「安全や暮らしへの配慮から、運営スタイルを変えてしまうと、魅力が損なわれるのではないか」という懸念も生じる。それでも「伝統を守る」と「時代に合わせたアップデート」を、初めから二者択一にする必要はないのではないか。
振り返れば、コロナ禍では多くの地域が規模縮小や中止に踏み切った。それでも祭りは途絶えず、感染が落ち着いた今、元の姿を取り戻している。一時的に形を変えても、伝統そのものが失われるわけではない。私たちはすでに、そのことを経験しているのだ。
「伝統を守る」と「何も変えない」はイコールではない。次世代へ継承していくために、必要な変化もあるだろう。大切なのは、存在意義と“あるべき姿勢”を、常に問い続けることだ。
実際に人命が危機にさらされ、違和感を訴える声が散見されている。「無関係なヨソ者がSNSで騒いでる」と一蹴することは簡単だが、そこから学べるものもあるはずだ。変えないのであれば、変えない理由を明確にする必要がある。
参加者のなかにも、地域のしがらみから断りきれずに関わっている人はいるはずだ。個を重んじる時代において、集団的な行事は、その声を無視できない。
愛着を冷笑しない、違和感を一蹴しない
大切なのは、「何を受け継ぎ、何を変えられるのか」と考えることにある。もちろん、そのためには外から見る私たちも、祭りに寄せる愛着を冷笑せず、なぜ大切にされているのかを知ろうとする必要がある。
「地域文化を尊重してほしい」と求めながら、違和感を示す人々の声を尊重しないのであれば、そこには強い非対称性が生じる。その差が広がれば、「単なるワガママではないか」との批判が起きてもおかしくない。
共同作業によって地域のつながりを生み、世代を超えて文化を受け継ぐ。その価値を次へつなぐためにも、熱意と風評のギャップに向き合い、折り合いを考える。いかにバランスを保てるかを探ることが、伝統を守る第一歩なのではないか。


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