交通のみならず、「朝5時ごろからの大きな音はつらい」といった騒音面の疑問も出た。また、地域コミュニティゆえの難しさとして、「子どもたちが寄付を集めに来たため、断りづらかった」と明かす人もいる。地元企業に就職したというユーザーは、「地域密着」を掲げる会社の方針で、みこしを担ぐことになった経験を振り返る。
一方、これらの要素を、地域行事として受け止める意見もある。祭りだけでなく、花火大会やマラソン大会にも、それぞれ好きな人がいるのだから、お互い様だという考え方だ。
地域社会との接点を評価する声もある。数年ぶりにみこしを担ぎ、休憩中に地域の人とじっくり話した経験から、困ったときに助け合える関係性を再確認したようだ。
ネガティブな印象が変わった、という評価もあった。みこしの横断にいらだっていたが、子どもたちが笑顔で手を振ってくれたことで、不満が和らいだという。
誰もが"祭りあるある"で語れてしまう
日本に暮らしていれば、あらゆる場面で祭りと出会う。みこしを担いだり、山車を引いたりと、主体的に参加しなくとも、商店街にぶら下がるちょうちんに秋の訪れを感じ、屋台の焼きそばやイカ焼きのにおいに腹をすかせたことは、少なからずあるはずだ。
誰しもの共通体験として存在するからこそ、そこには語る余地が生まれる。地域ごとに事情は異なるはずだが、各自の中にある“祭りあるある”を尺度に、論評したくなる。
本来ならば、祭りを取り巻く環境は、歴史や信仰、人間関係など、コミュニティによって異なるはずだ。だが、誰もが「祭りってこうだよね」というイメージを持っているゆえに、みずからの物差しで他地域のそれも測ろうとしてしまう。
しかし、祭りは本来、みこしなどが担がれる“本番当日”だけで完結するものではない。地域社会でのつながり、日常が基盤にあり、その集大成としてのイベントにすぎない。まさに年中行事と言える存在なのだ。
幼いころには、遊びや憧れの対象だったものが、成長するにつれて役割を担い、やがて次世代へ伝える側に回る。見る側、参加する側、支える側と、関わり方が変わりながら積み重なっていく。そのなかで醸成された愛着は、他の地域からは、なかなか見えないのだろう。


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