なぜこんなズレが生まれるのでしょうか。
僕は、言葉のニュアンスには、その言葉を使う人たちが「何をよいと思っているか」が映し出されるからだと考えています。
言葉のズレは、文化のズレ
ユニークについて言えば、日本には「出る杭は打たれる」ということわざがあります。周りと同じであること、和を乱さないことが大切にされてきた文化の中では、「他と違う」ことはどうしても少し危ういものとして見られがちです。
だから「唯一無二」という意味の言葉が、日本に入ってくると「ちょっと変わった」という意味に寄っていったのかもしれません。
ナイーブについてはその逆です。
日本には、繊細さや純粋さ、傷つきやすさを美しいものとして見る感性があります。「もののあはれ」のように、儚いものや壊れやすいものに価値を感じる文化ですから、「生まれたままの純粋さ」を指す言葉が、優しい意味で受け入れられたのではないでしょうか。
一方、自分の意見をはっきり言い、交渉し、自分の身を自分で守ることが求められる場面が多い文化では、「純粋で疑わない」ことは「隙がある」ことにつながります。だからnaiveは厳しい言葉になったのだと思います。
そしてプライドと矜持。日本語にはもともと「矜持」という、誇りを肯定的に表す言葉がありました。そこにカタカナの「プライド」が入ってきたとき、「行きすぎた自尊心」の意味のほうを主に受け持つことになったのかもしれません。
外来語が入ってくると、元からある言葉と役割分担が起こる。これも言葉の面白いところです。
言葉は、ただの記号ではありません。その言葉を使ってきた人たちの価値観や歴史が、ぎゅっと詰まったものなんです。
だから、ある言葉が別の文化に渡るとき、意味が少しずつずれていくのは、ある意味で当たり前のことなんですね。


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