ただ、翌年の進振りを待つだけとなった期間、FANさんに残ったものがお笑いだった。落研のためなら大学にも行けたし、大喜利ができる店にも頻繁に通った。
「お笑いがいい逃げ道になってくれた。落研がなかったら、人と話す機会もほとんどなかったと思います」
神童だった少年が、東大で初めて直面した長い停滞期。彼を外の世界につなぎ止めたのは、勉強ではなくお笑いだった。
「仕事は一つじゃなくていい」
大学生のお笑い大会「NOROSHI」で準決勝に進んだ際、吉本興業から養成所を経ずに所属を目指せるという案内を受けた。
「正直、3割くらい揺らぎました」というが、踏み切れなかった。
最大の理由はお金だった。収入の見通しが立たないと不安で、活動そのものができなくなる性格だと自分で分かっていた。
卒業後は民間企業に就職し、1年で公務員に転職。「仕事はお金を得る手段」と割り切り、余暇でお笑いを続けた。それでもよかった。そういう生活が、ずっと続くはずだった。
転機は、YouTubeの仕事に関わり始めたことだった。お笑い仲間に頼まれて動画の編集や企画・構成を手伝ううちに、その手腕が評価され、各所から依頼が舞い込むようになる。
やがて「これを仕事にしても生きていけるかもしれない」という算段が立った。いまや登録者200万人を超える「バキ童チャンネル」(
それまで彼には、「仕事は一つでなければならない」という固定観念があった。
芸人なら芸人一本、公務員なら公務員一本。しかし知人に「いろんな仕事をして、全部足し合わせて収入が足りていればよくない?」と言われ、目から鱗が落ちた。
芸人としての収入、構成作家としての収入、動画編集の収入。全部を足して生活できればいい。彼は公務員を辞め、使える時間のすべてをお笑いとコンテンツ制作に注ぐことを決めた。


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