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「この二人が本当の両親だ」とわかったとき、絶望した――群ようこが"親を他人"と思って生きるようになった少女時代

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夫婦喧嘩のイメージ
「やっぱりこれが私の本当の家なのか」と気づいたとき……(写真:LadadikArt/PIXTA)
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両親も子どもに対して、うしろめたかったのか、一般的に子どもがいちばんよくいわれる、

「勉強しなさい」

は一度もいわれたことはなかった。テストの点が低くても、

「あんたがテストで悪い点を取っても、私たちには何の関係もない。自分が困るだけだから」

といっていた。クラスの他の子の話を聞くと、

「テストでいい点数を取ってくれないと、お母さんが恥ずかしい」

といわれているといっていた。それに比べたら気が楽だが、他の家より親子の関係自体が、希薄だったのかもしれない。

父のいない家は快適だった

軌道に乗っていた父親の仕事は、あっという間に下降線をたどり、4年ほどでその家を出ることになった。雇っていた人がやめた後に新しい人は募集せず、父親一人で母屋で仕事をするようになった。プレハブが空いたので、そこを私の部屋としてあてがってもらったのはうれしかったが、あっという間にそこから徒歩7、8分の賃貸住宅に引っ越した。

その家は室内に風呂場がなく、母屋の隣に木造の風呂場があった。前の近代的なコンクリート打ちっぱなしの家とは真逆の、日本の古い家だった。しかし母親はすぐ近くに東京藝術大学の石神井寮があると、はしゃいでいた。私のほうは、隣に建っている大家さんの庭から、大好物のミョウガがこちらのほうにまで生え広がっていて、大家さんから、

「好きなだけ採っていいですよ」

といわれたのはうれしかった。夏になるとミョウガを採ってきて、それを薬味にそうめんを食べるととてもおいしかった。

その頃、父親は家で仕事をすることはなく、文京区のマンションの一部屋を借りて、そこをデザイン事務所として使っていた。見ていると、同じ理由で何十年も夫婦喧嘩をすることに二人とも飽き飽きして、お試し別居のような形になっていったのだろう。

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