発電所の横には13戸の社宅や事務所が建てられ、集落には豆腐屋、雑貨屋、油屋、タバコ屋などが軒を連ね、60数戸、最盛期には83戸あったとも言われている。時には芝居の興行もやってきたそうだ。
発電所景気で比較的裕福で、下水の掃除などの日雇いの雑役でもけっこう賃金がよかったという。
「わらじか素足が当たり前だった当時でも、集落の子どもはズックや長靴を履いていた」
「下ノ木場の人間は、飲み屋で掛けがきく」
「オートバイがまだ珍しかった時代、伊佐郡では警察署長と発電所長のところにオートバイがあった」
「校長の月給が60円くらいのとき、所長は130円だった」
など、景気の良さを思わせる証言が残っている。
社宅中に漂った「ウナギのかば焼き」の匂い
昔発電所で働いていた人の証言によると、発電所は3交代で5日ごとに入れ替わるシフトで働いていたようだ。昼勤務が8~16時、前夜勤が16~24時、後夜勤が24~8時。中は熱気がこもり、冬でも暑かったのだという。
働いていた人たちの大きな楽しみは、発電所の水槽に引っかかる“あるもの”だ。


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