しかしNLCSが目指しているのは、「伴走される子」ではありません。自分で走り始める子を育てるのが目標であり、それを机上の空論とせず、そのための環境や仕組みにこだわっているという印象を受けました。
学校が力を入れているのは、「勉強しなさい」と言うことではなく、「もっと知りたい」と思える環境を整えることでした。授業だけを受けていても、テストのスコアで高得点は取れません。教室を出て、自ら本を探し、自ら考え、自ら問いを立てる。教師は答えを教える人ではなく、その探究を支える存在です。
「優秀」の定義が、変わり始めている
NLCS済州で行っている教育や高い進学実績は日本でも再現できるのでしょうか。ヘンリー校長はこう答えます。
「もちろん再現できると考えています。子どもたちは、楽しく安定した環境で知的好奇心に従うことができます。そうした環境があれば、先生がガミガミと指導をしなくても、子どもは積極的に学ぶ姿勢を伸ばしていきます。神戸でもそのスピリットで展開していますから、まだ卒業生は出ていませんが、生徒が望む進学先に行けると確信しています」
金重氏は日本の教育が「短距離走」になりやすいことを指摘します。
「大学合格をゴールにしてしまうと、教育はどうしても短距離走になります。いわゆる詰め込み型の教育が、長年、私たちが受けてきたスタンダードでした。でも人生は、学校を出たあとのほうがずっと長いんです。生涯かけて学び続けることができる人間を目指すべきですよね」
どんな大学へ入るかではなく、どんな人として生きていくのか。そのために学校は何ができるのか。教育の時間軸そのものが、日本とは少し違って見えました。
日本では、偏差値が高い子、難関校に合格した子が「優秀」と言われます。もちろん間違いではありません。実際、日本の受験教育が育ててきた学力や努力する力は、世界に誇れるものです。
一方で、世界トップ大学が見ている「優秀さ」は、その先にありました。何に心を動かされるのか。どんな問いを持ち続けられるのか。失敗を恐れず挑戦できるか。そして、自分の情熱を社会とどう結びつけていくのか。
ヘンリー校長が何度も口にした「Passion」という言葉は、決して精神論ではありませんでした。学ぶことを楽しみ、自ら問いを立て、探究を続ける力。それこそが、世界で評価される「優秀さ」の本質なのだというメッセージだったのです。
「もっと知りたい」「もっと調べたい」「もっと挑戦したい」という気持ちを全力で周囲の大人が育てることができたとき、日本の教育はもう一段、世界に近づけるのかもしれません。
NLCS済州での教育は、子どもたちが、自分で問いを立て、自分で学び、自分で未来を切り拓いていく教育でした。その哲学は、日本の受験教育と対立するものではなく、日本の教育が次の時代へ進むための新しい選択肢の1つなのかもしれません。


※ログイン後、コメント入力が可能です。