しかし一方で、台湾内の熱烈な親中派・統一派団体やその支持者にとって、林さんは「反中感情をあおる危険人物」であり、強い敵意の対象でもあった。
台北での書店開業直前の2020年4月21日には、路上を歩いていた林さんが男らから赤いペンキを浴びせられる襲撃事件が発生し、犯行グループはその後逮捕されている。
さらに、別の親中派グループが「銅鑼湾書店」の名称を先に商標登録し、嫌がらせによって出店を妨害しようとする動きもあった。
台湾では批判的な勢力もいたが…
加えて、中国との融和を主張する一部勢力からは、「香港の政治問題を台湾へ持ち込み、中台関係の緊張をいたずらに高めている」「民進党政権の反中プロパガンダに利用されている」といった冷ややかな批判が向けられることもあった。
しかし、こうした人々が見落としている点がある。
林さんは、中国の「人民」、すなわち一般の中国人そのものを憎んでいたわけではない。実際、香港時代にも中国国内から訪れる多くの客に「禁書」を販売し、対話を重ねてきた。
彼が目指していたのは、中国の人々が政府の抑圧から解放され、香港人も中国人も、それぞれが個人の尊厳と自由を持つ主体として、互いを尊重しながら共に生きる社会だったのである。
また、香港へ戻れば再び拘束される危険があったことは事実だが、それ以上に、自由の失われた社会とは決別するという強い意思を示していたとされる。
そのため、亡命先の台湾で正式に身分証を取得した際には、自由が息づく台湾こそ、自らが人生を託す場所であるとの考えを語っていた。そして最期まで台北の地で人生を全うした。
台湾という土地を深く愛した一人だったと言える。
香港はアジア有数の親日地域と言われるが、林さん自身は日本をどのように見ていたのだろうか。
林さんは一貫して、日本に対し「自由と民主主義が成熟し、知的水準の高い国」という好意と敬意を抱いていたとされる。
かつてのインタビューでは、「日本の読者は非常に熱心で、香港や台湾、中国の政治状況について深い知識と問題意識を持って訪ねてくる」と語り、日本人の知的好奇心の高さを評価していた。
また、台湾で再開した銅鑼湾書店には、日本の文芸書や歴史書、哲学書の翻訳本も並び、日本社会や民主主義の歩みにも強い関心を寄せていたとされる。

