両親の仕事の都合で、Aさんは中学入学のタイミングで地方都市へ引っ越す。そこで地元で一番の中学校を受験して合格。そして中学入学と同時に、生活はいっそう精密に組み上げられていく。
5時15分に起床。ここからおよそ1時間半、机に向かう。6時40分にリビングに顔を出し、母に挨拶をする。ポストに新聞を取りに行く5分間だけが、朝の中で誰にも見られていない自由時間だった。
朝食の卓には、驚くほど整った皿が並ぶ。ごはん、納豆、卵焼き、前日の野菜の残り、味噌汁、ヨーグルト。栄養バランスも彩りも完璧である。ただし食べる時間は15分もない。野菜を2分で食べ、納豆を30秒で混ぜてごはんと合わせて3分以内に処理しないと怒られたのだという。
学校から帰ると、また分刻みの生活が待っている。19時から15分間の夕食、20分の入浴(ドライヤーまで)、21時に「反省ノート」の提出、22時就寝厳守。反省ノートには、その日注意された点と改善策、翌日の予定を書き込む。時計を持たされた囚人のような日々を彼女は続けた。。
「食事・睡眠以外は勉強、が当たり前だと思っていました。周りがスマホを使い始めるまで、それが普通だと思っていた」
先生「東大行けますよ」
そして最初の定期テストが来る。母は「周りの子はめちゃ勉強してきたんだから、必死で食らいつきなさい」と発破をかけた。彼女は、母に言われた通り必死に勉強し、地域で1番の学校で学年で2位を取った。
普通なら「頑張ったいい思い出」になりうる場面である。だが、これは彼女の物語のなかで、いちばん決定的な転換点だった。
「頑張ってよかった、自分でもこんなにいい成績取れるんだ、と思いました。でも、2位を取ってしまったがゆえに、母の期待が上がったんです」
「食事・睡眠以外は勉強」という異常な設計のもとで、彼女は本当に成果を出してしまった。壊れなかった。ついていけた。それが、母にとっては「この方法で結果が出る子なんだ」という成功体験になってしまったのかもしれない。以降、生活の枠はゆるむどころか、精密さを増していく。
教育虐待の被害者の中には、成績が悪いから途中で放置された側と、成績が良いから逃げられなくなった側がいる。Aさんは、完全に後者だった。
その後、高校は地元で一番の公立高校に進んだ。最初の保護者面談で担任が「これくらいなら東大行けますよ」と言った日、彼女が学校から帰ると、母はすでに帰宅していて、上機嫌で待ち構えていた。何を言われたのか聞くと、母は「東大目指せるってよ」と言った。
娘の本音は違った。地元旧帝大でよかった。だが、母の圧力の前で、Aさんは気づけば東大志望にさせられていたという。そしてそのまま、彼女は現役で東京大学理科二類に合格した。学部も、「この勉強がしたいから」という気持ちは一切なく、戦略的に「自分の成績で目指せそうなところ」という理由で東大理二を目指したそうだ。母の期待に応えるための東大受験でしかなかったのだという。

