何度も表現を変えても、母は無言で×を付ける。娘はやがて、母が買い物に行った隙に模範解答を盗み見て、そのまま書き写すようになった。
「そうすると、『できんじゃん』って、あきれ顔で『やっとかよ』って言われるんです。自分が最初に考えていた答えと、ほとんど変わらないのに」
正解の記述と彼女の答えの記述の差は、「〜だから」という模範解答のところ、彼女が「〜のため」と書いていたくらいのものだった。そしてそうしたことが、頻繁に発生した。丸付けをする母にとって重要だったのは、答案の正しさではなく、答案が「模範解答と完全一致するかどうか」だったらしい。娘のほうも、あきらめず反論するのではなく、答えを写経するという最短ルートで家庭内の紛争を回避することを、小学生のうちに覚えてしまった。
母の「抜き打ちチェック」
同じ小学生時代のある日、小説を自室の机に入れておいたことが、母の「抜き打ちチェック」で見つかった。勉強をさぼって小説を読んでいる、と母は解釈した。そこから3日間、母は無表情で怒り続けたという。
「怒鳴られるというより、淡々と詰められて、こっちも敬語で対応しないとだめなんです。食事・睡眠・勉強以外の時間はすべて立って、謝罪を繰り返す。『○○をして申し訳ありませんでした』を、朝起きた瞬間からずっと」
反省文を書けば、「甘い」と破棄される。土下座しても「誠意が見えない」と返される。じゃあ謝るのをやめようと待ってみると、「なんで謝れないんだ」とキレられる。謝罪の出口が、構造的に用意されていない。そんな中での関係修復の努力は、いつも娘の側からだった。
おだてる。体調を気遣う。ご機嫌をうかがう。10歳そこそこで、彼女は家族関係のマネジメントの技術を身につけていた。
小学生の彼女がすでに気づいていたのは、家庭内では、丸付けも、怒りの終わり方も、すべての判定基準が母の中にしかない、ということだった。

