ただ、それ以上に、誰が物語を作る中心にいるのかは、人物へのまなざしや描かれる世界の細部に影響することがあります。『銀河の一票』にある、立場の違う人間を単純な善悪の記号にしない柔らかな視線は、こうした作り手の姿勢の1つだったのではないでしょうか。
ストレートなメッセージですが、視聴者の受け取り方はさまざまです。最終回の放送後、X上では「綺麗にまとまった」「希望が残る終わり方」「チームあかりの絆が最高」といった投稿が多数でしたが、「綺麗すぎた」「現実味が薄い」「政治描写が甘い」という意見も見られました。
これは作品の中身をきちんと見届けたからこそ生まれた反応でしょう。政治ドラマとしてのリアリズムを求める層と、エンタメとして救われたい層、その温度差がそのまま賛否になって表れていたのだと思います。
現実の選挙は一筋縄ではいきません。だからこそ、フィクションが「こうあってほしい」という世界を描くとき、それは簡単に理想論と呼ばれてしまいます。
現実とフィクションの架け橋
筆者の自宅の前を、選挙カーが通り過ぎていったとき、耳を傾けても、候補者の名前を連呼する声が虚しく響くだけでした。ドラマで日髙のり子が演じたウグイス嬢のような、思わず聞き入ってしまう声というわけではない。当たり前のことですが、現実はドラマのようにはできていません。
それでも、「綺麗ごとは、綺麗なこと」というセリフは、飛躍した結末ではないと感じました。2パターンも用意されて見応えあったオープニング映像からも、一貫していたことです。
茉莉やあかりたちが商店街で何度も這いつくばりながら、それでも立ち上がっていく。もしかしたら変えられるかもしれない、という期待を諦めない。その姿が現実とフィクションを繋ぐ希望のように見えて、このドラマを毎週見たくなる理由にもなっていました。
現実の選択には、迷いや割り切れなさがつきまといます。それでも人は、より良いものを願って選ぶ。このドラマはそれを丁寧に見せていたのだと思います。正しさだけでは選べない一票を投じた後の自分に、静かに響きました。

