亀梨が世間的にブレイクするのは、05年のドラマ『ごくせん』への出演と、山下智久とのユニット「修二と彰」でリリースした『青春アミーゴ』のヒットだ。そして前述の通り、06年にはついにKAT-TUNがデビューし、人気が爆発する。しかし10代前半から20代に差しかかるまでの約8年はジュニアとして過ごしているのだ。
田中みな実は「“準”グランプリ」からスタート
一方の田中みな実は、07年に「ミス青山学院コンテスト」に出場。その後、TBSにアナウンサーとして入社することを踏まえると、順風満帆に女子アナになる王道のコースをたどったようにも思えるが、実はこのときの結果は“準”グランプリだ。
この結果について「準っていうことは伸びしろがあるってこと」と発言。悔しさを滲ませながらも、そこから“伸びる”意識があったことがうかがえる。
ちなみに、当時のミスキャンパスコンテストは、まだネット投票が一般化しておらず、学内の友達の多さによって最終結果が決まってしまうような側面があり、必ずしも学内1番の美人やスター性のある者がグランプリに選ばれるという構造にはなっていなかった。
だが、2位であるという結果を受け止めることが田中を努力に追い立てたのだろう。もちろん、女子アナになることがすべてではないが、当時グランプリをとった女性は女子アナにはなっていない。
田中は09年にTBSに入社後、局アナとして大ブレイクしたかというと、実はそこまでではない。自分で考案したという「みんなのみな実」のフレーズやぶりっ子キャラなど、TBS時代は売れっ子アナウンサーというより、キャラが立っている女子アナというイメージだった。
田中の局アナ時代の代名詞と言ってもいい『サンデー・ジャポン』も、MCを務めたのは最後の2年弱だけだ。

