地の利も悪く、時代も悪い――。
そのことを元親は十分に自覚していたからこそ、強敵との関係には人一倍、気を配っている。己の境遇を嘆くよりも現実的な対処を行うのが、元親だった。逆境を跳ね返すリーダーの姿は、家臣たちの目にも焼きつけられたことだろう。
元親の前に立ちはだかったのは、地の利の悪さだけではない。そもそもの人間的な性質として、武将としての適性が周囲から疑われていた。
子どもの頃は、背はひょろりと高く色白で温和な性格だったという。他人とほとんど口を利かないほど無口で、いつも屋敷の奥へと引っ込んでいた。
その女性のような弱弱しい風貌からつけられたあだ名は、「姫若子」。「槍の突き方も知らないうつけ者」と陰口を叩かれることもあったというから、完全にバカにされている。父親の国親も、こんなことを言っていたとか。
「嫡男がこういうことであれば、長宗我部家も終わりだ」
だが、周囲の人間は知らなかったのだ。元親が、実は比類なき負けず嫌いだったことを。負けず嫌いだったことを。元親は、自分の低い評価を知ってか、長宗我部の一族である江村備後守親家から密かに武術の手ほどきを受けていた。
特訓の成果が披露されるのは、元親が21歳のときだ。宿敵である本山氏の家来を相手にした長浜城を巡っての長浜・戸ノ本の戦いにおいて、元親は初陣を迎える。ほとんどの人が、元親には何の期待もしていなかったに違いない。
だが、この戦において元親は50騎を率いてこう叫んだ。
「武士は命より名を惜しむべきである。一歩も引くな!」
勇ましさは言葉だけではなかった。元親の軍は実に70余りの首を上げたといわれている。
目覚ましい活躍に、周囲の評価は一転。その日から元親は「鬼若子」と呼ばれるようになったというから、手のひら返しもいいところである。こっそりと努力していたことが実を結んだ瞬間だといえよう。
相手方をかく乱させる頭脳プレーも
かつては陰気な息子を見限っていた父の国親も、たくましくなった息子に一家を託す覚悟を決める。臨終の際、元親にこんな言葉を送った。
「宿敵の本山を討つ以外に私への供養はないと思え。親の死後に仏事をなさなければ、世間に笑われるので、7日間は慣習にならって喪に服すこと。だが、その後は喪服を脱いで甲冑に替え、軍議をいたせ」
喪服を脱いで甲冑に替えよ――。それほど長宗我部にとって本山は、打ち破らなければならない宿敵だった。

