水の事故は、ドラマのように「助けて!」と叫んで起こるものではありません。多くは静かに、あっという間に起こります。だからこそ監視は、「常に全員が見えている」ことが大前提です。
ところが洗濯機は、その大前提が崩れます。流れがあるぶん立ち位置は刻一刻と変わり、背の低い子ほど足を取られやすく、波立つ水面の下は見えない。教員が何人立っていても、回り続ける集団の中の「特定の1人」を追い続けることは、難しい。自由時間も同じです。
「そこまで取り上げたら子どもがかわいそうだ」という声が、聞こえてきそうです。その気持ちは本当によくわかります。私だって子どもとしても、先生としてもあの楽しさを知っています。
でも、「かわいそう」と「危ない」は、天秤にかけてはいけないものです。楽しさは別のかたちでいくらでもつくり直せますが、命だけは一度失われたら取り返しがつきません。
過去には学校プールでの死亡事故が複数起こっています。2024年、高知市の小学校の水泳の授業で、4年生の男児が溺れて亡くなりました。
流れに身をまかせる受け身の楽しさより、「自分の力で泳げた」という「できた」の楽しさを1つでも多く用意するほうが、よほど子どものためになると私は思います。
「プールの水」止め忘れという恐怖
職員室のドアに、「プールの水!」と書かれた黄色の付箋を貼る。自分のパソコンの前にも、ホワイトボードの端にも、自分の手の甲にも。学校のあちこちにそのメモを残す。
笑い話のようですが、私が小学校教員時代、プール担当で水の止め忘れを防ぐために、実際に行っていた対策です。気づいたときには何時間も出しっぱなしにならないよう、さまざまな工夫をしていました。
でも、止め忘れる先生が100%悪いのでしょうか?
止め忘れるのは、その先生がだらしないからでも、責任感が足りないからでもありません。小学校教員の一日は、判断と対応の連続です。健康観察、授業、ケンカの仲裁、保護者対応、提出物の確認、給食の見守り、次の準備――。

