それでもホームシックには「ほとんどならなかった」というから、秀樹さんはその特異な状況でもストレスをあまり感じないでいられる特性の持ち主だったと言える。秀樹さんの父もそのポテンシャルをある程度見抜いたうえで、息子を信じて送り出したのかもしれない。
だが、やはり「しんどい」と感じる時期もあった。
「やはり、人間関係でいざこざが起きたときです。普通なら、学校でトラブルがあっても家に帰って一息ついたり親に相談したりできますが、寄宿舎だとそうはいかない。相手がルームメイト同士だとさらに大変で、そういうストレスは時々ありましたね。それでも僕自身は『寝たら忘れるタイプ』なので、そこまで大ごとになったことはないですが……」
学習するのもしないのも個人の自由
当時、寄宿舎の建物は5棟あり、寄宿生は年齢や精神的な成熟度に応じて大まかに区分されていた。
「おそらく学校側の配慮で、同じ言語を使う人(英語以外)同士が同室にならないようにしてくれていたのだと思います。そうじゃないと、いつまでも英語が上達しないから。僕も当初同じ部屋になった中国人の子と、お互いになんとか片言の英語でコミュニケーションを取ろうと頑張った記憶があります」
秀樹さんが通っていた当時、日本人の生徒数は4〜5人ほど。おそらくこの数は全体の生徒数の1割にも満たない(生徒の数は年によって変動するが、約50〜80名程度までとされる)。しかも皆7〜8歳上の上級生で、秀樹さんの同世代はほとんどいなかった。
「だから、かなりそこで英語力は鍛えられたと思います。『わからない単語がわかる』というレベルになるまでが大変でした。でも、その段階になると意思疎通もできるようになっていく。あと僕の場合、英語の授業は多く取るようにしていました」

