だが、そのおいしさに安易に飛びつくこと自体が問題なのだ。たしかに人の外見や身体的特徴を否定的に扱えば、良くも悪くも多くの人に興味を持たれて、感情的な意見が飛び交うような状態を作ることはできるかもしれない。だが、ルッキズムに対する批判が高まっているこの時代に、メディアの偏見や差別を助長するような行為が許されるはずがない。
この問題の本質は、ハーフパンツが良いか悪いかではない。すね毛を不快に感じる人がいるかどうかでもない。他人の体を「見たくないもの」として公的に名指しすることを、メディアが娯楽化してもよいのか、という点にある。
中年男性であっても、自分の見た目について尊重される権利を持っている。それを「キモい」と表現して笑いの材料にすることは、対象が誰であっても慎重であるべきだ。
男性批判が必要な場面はあるが…
今回の論争が示しているのは、いまだに「おじさんいじり」をネタにしている日本のメディアの周回遅れの時代感覚である。もちろん、別のテーマに関して、男性批判や権力構造への批判が必要な場面はある。しかし、それは中年男性の外見を貶めることとは全く関係がない。メディアが本当にジェンダーや多様性を大事にしているのであれば、誰かの外見を安易に笑いものにする発想そのものから距離を取るべきである。
ハーフパンツ論争が白熱したのは、単に「おじさんのすね毛」が気になる人が多かったからではない。多くの人が、その背後にある不公平さに気付いたからだ。誰かの見た目を「不快」だと言ってよい社会は、誰もが自分の見た目を不快だと言われることを受け入れなければいけない社会である。中年男性を雑に扱うことを許している限り、メディアの人権感覚は更新されない。
本当の意味で「キモい」のは、ハーフパンツを履いたおじさんではなく、おじさんいじりを通じてルッキズムを助長して偏見をふりまくメディアの側なのではないか。
