日本とは違う文化や慣習を、単に「変わっている」という視点だけで切り取れば、それは異文化理解ではなく、異文化の安易な消費になってしまう。特に、貧困、宗教、ジェンダー、家族制度、子供の権利などが絡むテーマを扱う場合、単なる珍しい海外事情として見せるだけで済ませることはできない。
今回取り上げられた児童婚の問題は、その典型である。児童婚は、単に「世界には変わった結婚の形がある」というだけの話ではない。子供の身体的・精神的な安全、教育の機会、自己決定権が奪われる深刻な人権問題である。それをバラエティ番組で紹介する際には、細心の注意が求められる。
番組も配慮を見せていた
もちろん、番組側にも配慮が全くなかったわけではない。スタジオの出演者は、それぞれが十分に気を使った形のコメントをしていたし、問題視された所の発言に関しても、彼の意見を言っているというよりは、ほかの出演者の発言を受けて、それとは別にこういう見方もあるかもしれないよ、というのを控えめに提示しただけであるようにも見えた。
しかし、この番組では児童婚について人権問題として掘り下げて考えさせるような部分が少なく、問題を矮小化して少年の奮闘と苦悩を興味本位で取り上げていたように感じられたことは否定できない。
今回の炎上の本質は「所ジョージが不適切なことを言った」という単純な話にとどまらない。「世界まる見え!」的な番組作りが、令和の視聴者の感覚とずれ始めていることの表れである。
かつては、海外の異文化や奇習を紹介すること自体がエンターテインメントになった。だが、今はその異文化の中にいる人々も同じ世界の隣人として意識される時代である。遠い国の出来事を気軽に面白がって消費するという態度は通用しづらくなっている。
今回の炎上は、好感度の高いベテランタレントが言葉を間違えたという話ではない。昭和から平成にかけてテレビを支えてきた「深刻にしすぎない」「笑って流す」「人生経験で丸める」というバラエティ番組の作法が、令和の人権感覚の前で通用しなくなっていることを象徴する出来事なのだ。
