「麻雀です。引きこもっていた時期、唯一見られたのが麻雀の放送対局だったんです。そのころは、強い音とか光とか、刺激そのものがかなりつらくなっていて、好きだった映画も音楽も野球中継もほとんど無理でした。
でも麻雀中継だけは見られた。大きな音もないし、画面の変化も比較的穏やかで、手牌が並んで淡々と進んでいく。その静かさが、自分にはちょうどよかったんだと思います。見ている間だけは現実の嫌なことを忘れられました」
その後、就活できないまま卒業時期を迎え、やむなくロースクールを受験。早稲田のロースクールに入ったものの、身が入らない時期が続いた。
そんなときに、講義のあと、逃げ込むように入った雀荘で、いままで触れてこなかった世界に出会う。
「雀荘には、自分と全然違う経歴の人、全然違う価値観の人がいました。学歴で空気が決まるわけでもなく、肩書きがそのまま強さになるわけでもない。勝ち負けは、その場の手牌と判断で決まる。でも負けたからといって、人間そのものが否定されるわけじゃない。その感じがすごく新鮮でした」
麻雀を通して仲間もできた。
「自分の話をしてもいいと思える相手ができました。私はそこで、勝負事そのものの面白さと、勝つために試行錯誤する楽しさを、もう一度思い出した気がします。人生に熱が戻ってくる感じがありました」
何より大きかったのが、麻雀では「降りること」も戦略だと知ったことだと言う。
「今の局で無理そうなら、押し通すより、いったん降りたほうが長い目では得なことがある。しかもそれは逃げじゃなくて、ちゃんと勝つための判断なんですよね。私はそれまで、『やめること』や『降りること』をほとんど敗北だと思っていました。
でも麻雀では、むしろ降りられない人のほうが負けることがある。その感覚が、自分の人生観をかなり変えました」
今の局で負けても、次の局で取り返せる。それを実感したとき、「法曹の道に進めなくても、そこで私の人生が終わるわけではない」と思えるようになったという。
受験というルールの中では、すごくうまくやれていた
挫折のない人生がつくった彼女の脆さ。それを自力で取り返した新倉さんに「いま、あのころの自分をどう見ていますか」と聞いた。
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【昔の自分が間違っていたとは思わない】
